2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

モデル・マイノリティの内実

「われわれ日本人」とか「われわれの日本語」といった日本の自己同一性をめぐる主張がいかに特異なものであるかを本居宣長研究を通して解題してきた子安宣邦は、西洋・東洋という意識を以下のようにいう。 西洋の文明史的な立ち上げはかならず非文明的・反文…

アジア系アメリカ

現在、日本への「慰安婦謝罪要求決議」は、アメリカからカナダ、EU、さらにフィリピン下院で採決されている。この議案の世界的拡大に伴って、この決議案を促進したマイク・ホンダ米下院議員(民主党)のことはもう話題にはのぼらなくなっている。ホンダ・バ…

良いジャップは、死んだジャップ

「第二次世界大戦が産み落としたもの、それはユダヤ人虐殺と“人種差別”である」とジョン・W・ダワーはいう。 前回書いたとおり西洋に追いつけ追い越せ日本政府が和魂洋才に押し込めた「近代教育」政策、では当の西洋ではどう見られていたのか。 日本人は他…

孤独な帝国

明治政府のような文化啓蒙による朝鮮開国近代化に肩入れしてた福沢諭吉は、近代化に伴う中国・朝鮮・日本の緊張関係を以下のように例えた。 三国の交際に於て、朝鮮国を一個の少婦人に比喩して、日本と支那と二男子が其歓心を得んことを力めて、日本は早く既…

帝国のコスモポリタン、フー・マンチュー

ロバート・G・リー『オリエンタルズ―大衆文化のなかのアジア系アメリカ人』 去年の夏に1回引用したが、引用文がジェンダー・ジャーゴンに満ちていた内容だったので、かなりアレ的にとられてしまったかもしれない。兎も角、断片すぎて本自体の面白さにはまっ…

啓蒙バックラッシュ

「利益線の焦点は実に朝鮮にあり」と常に朝鮮をめぐる戦争を意識し危機感をつのらせていた山形有朋は、兵備拡張とその教育が国民愛国の要となる最重要課題だと考えていた。キリスト教を西欧列強の経済的侵略への思想的武器とみなしていた井上毅は、啓蒙思想…

道徳科学の原理は、人か、女か?

1871年(明治4年)、政府は廃藩置県と共に、戸籍法で「家」の範囲を規定し、家長=戸主とする家族が組織最小単位となる。 「抑も世に生れたる者は、男も人なり女も人なり。この世に欠くべからず用を為す所を以て云えば、天下一日も男ならるべからず又女なか…

蝶よ花よ、召しませ女権

徳川幕藩体制において武士は、「家臣」として位置づけられた家臣統制策により、「家」思想が制度化された。恩給=「家録」を専有する当主=「家督」が家族を支配する「家長権」をにぎる。 封建社会における序列は、家長(父)、母(姑)、夫、妻、子(長男)…

近代・明治以降:皇軍思想としての武道

1876年(明治9年)、廃刀令公布で帯刀禁止。山岡鉄舟『武士道』1860年は、以前には「武士道」という言葉すらなかったとして、剣道の極みとして「形か、心か」「善を知ることか、善を行うことか」という問をたてて、心を主体とした神儒仏三道融和の道念として…

近世・江戸:官僚侍の武芸

id:hizzz:20050514以前さんざん書いたが、経歴でっちあげて「征夷大将軍」徳川幕府。大久保(彦左衛門)忠教『三河物語』1622年は、将軍家として遠くなった主君との関係を、艱難辛苦を共にした三河時代から語ることで子孫たちに徳川への忠勤を説くが、武訓と…

中世〜戦国時代:ご恩と奉公武術

いわゆる「日本刀」といわれる奴、鎬造りの彎刀が完成したのは平安中期。合戦の日時と場所を予め使いをおくって「宣戦布告」する儀礼をやりだした。「侍」や「武士」はあれど「武士道」という言葉は、中世ではほとんど使われてない。『太平記』には、「弓矢…

「戦闘者」=「本来の武士道」は、何故おかしいのか。

『武士道の逆襲』菅野覚明は、「武士らしい武士とは何かを追求するのが武士道」と武士道を説明。具体的な「本来の武士道」として、江戸期の「葉隠」的武士道と、「戦闘者」思想を江戸・太平の世に合わせた儒教的「士道」の2つに設定。そして明治期以降の西…