2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

都合悪いものは全部スルー出来得る便利な方便

id:hizzz:20080401#p1で書いたが、学問・文化輸入も典籍・文語・中心である。その輸入ものを模造再現する際に誤解&曲解釈をする、解釈・文学主義&歴史修正主義にある。その過程で不都合な元のアイデンティティは消去される。脱ロゴス化は無意味化のための…

モダンの根幹=アイデンティティを削除した表現主義

文化庁下の文化財研究所には、帝国美術院属美術研究所以来の「黒田記念館」があり、いまだに黒田清輝は日本近代美術史の中では突出した地位を物理的にも占めている。子爵の養子という特権的身分の清輝は、法律を学ぶべく渡仏したが、そこで画業に目覚め転向…

日本画の誕生

天心・フェノロサ絵画改良運動は、明治憲法体制へ向けての制度整備と共に、絵画における四民平等・中央集権の啓蒙として推進された。究極的な西欧優位性を保持しつつ西洋にとっての他者である日本を想定しつつ、その日本の伝統を賞賛し、その一方で近代日本…

「美術」という西洋近代思想

贅をつくした美術品は、西洋に於いても為政者の政治力と結びつくことで「お宝」として魅力を倍増して神人一体な威力を発揮するものであったが、一点透視図なキリスト教社会から18世紀後半のブルジョア社会到来でそのかたちを変容させる。市民社会がもっとも…

美術というジャンル

日本には音楽・書画・工芸・彫刻等多々あれど長らくそれらを統一した名称で括ろうとする思考はなかった。「美術」という名称の始まりは、1973年ウイーン万博参加に際してドイツ語につけられた完成訳語だというのが史実。前回書いたとおり、日本の美術(≒視覚…

視覚による啓蒙の残骸

id:hizzz:20080619#p4の厚東洋輔がいう、明治初期のプレモダンからモダンをすっとばしたポストモダン的状況のどろんどろんな現状、日本というゲットーのフレームワーク表装について。

画家という社会的個人存在方法

西洋の画法は理を究めたれば、之を望み見る者、容易に見るべからず。望視るの法あり。故にや彼国皆額となして掛物とす。仮に望むといへど、画を正面に立置きて、画中に天地の界あり。是望む処の中心とし、則ち五六尺を去りて看るべし。遠近前後を能分ちて、…

百聞は一見に然り

種子島にたどりついた2丁鉄砲から、国産鉄砲をこしらえた刀鍛冶のケースのように、その道具の原理・概念を理解するより精密仔細に部品を観察反復すること=視覚的実証アプローチによって形態模写する職人的身体技能仕儀が、国内では元々身についていたので…

大江戸趣味とメディア

id:hizzz:20080714#p3の背景をも少し。 これといってやることがない江戸時代の将軍・大名は、趣味に邁進した。それはまず「本草学」、薬草=健康に執着した晩年の家康そのひとから始まる。中国漢方の『本草図譜』が伝わり、貝原益軒がそれに倣って国内植物を…

目ぢからリアリズムが先鞭つけた文明開化

昨今の流行メイクは、上下つけまつげやライン強調したカラーコンタクトや粘膜にまで引かれるアイライン等ひたすら足しまくることでの目ぢからupが主眼となっているが、素目で考える自己能力は退化したまんまなんではないだろうか。

ジェンダー二項対立の呪縛

江戸時代の春画は明治にはいるとその出版・流通の取締りが厳しくなって、アンダーグラウンドに降下。代わり?として、戦地にもってく「勝絵」という即物的なものに変貌する。 国家がまとまるのと逆にジェンダーは引き裂かれた。春画はジェンダーを曖昧にして…

分離するココロ

身体はそんなこんなでー、ココロは武士道…といって纏めてしまいたいところだが、いやぁ、そーじゃない。前にも書いたとおり、『葉隠』が全国に知れ渡るのは明治30年代である。>id:hizzz:20080302 停滞する武家文化そっちのけで、これだけ町人文化が栄えたん…

身体観察とリアリズムの関係

てなことで、ユニセックス風俗に突入してる江戸町人文化であったが、その身体感は、『九相詩絵巻』や『六道絵』にみられるように、最後は散骨してバラバラになって土灰に帰る「ただの虚構」でしかない。生身=肉を超越した「無我」「空」の思想。我アートマ…

婦女子の発見

んがっ、女芸が公的に駆逐されるのに反比例?してか、鈴木春信(1725〜1770)の庶民を扱った錦画、美人画・春画が大流行した。少年・少女を包摂したそれは、一見しただけでは性別が分らない程に繊細でユニセックスな世界である。それはなにも少年・少女だけ…

セクシュアリティの視覚

がの肉体を所有するのは、諸制度の名においてすぎず、のうちにあるそれら諸制度の言語は監視者にすぎないのだ。制度の言語は、その中にところのこの身体が、であることをに教えた。が犯しうる最大の罪とは、から肉体を奪うことであるよりも、肉体に、言語に…

表層に棲まうしるし

ドコにも存在しない「生の身体」をも少し。なかなか「近代」には、すんなりはいけんのぅ。。。

女性は一人ひとりが、本質的にマイノリティ

「女おたく・腐女子の可視化騒動」については、myヨタでもいくつか言及してきたが、ワタクシもあまり使いたくない男女という区分けのアバウトすぎる原因を、男女のあり方についての居心地の悪さの感覚につての男女差ということで、よしながふみが語っている。…

プレイメイトの変容

前回書いた、女性の中でホステス業を営む女装トランス・ジェンダーは、同僚女性ホステスの生態を観察して、自分たち(男性女装)とは違って彼女たちは別々のなにものかから女を装うという風に話していた。そんな風にいう彼のいう彼女たちの「なにものか」は…

孤島のロビンソン・クルーソーにとって、モードは存在しない

イメージ=認知されてる表層部分と隠れている内面部分とがあるのであれば、そういう仕方で他者・世間・社会が個人を量りにかけるのならば、その表層を変えてしまえばセルフイメージも変化するのでは。そこで人は外面を装う方法論を思い付く。まず、自分の表…

自由のコンテクスト

現代的人間の第一義は、人権。その人権が保障するものは、思想・信条・宗教の自由な個人である。職業やセックス・コンシャスも自由。生き方の自由ということは、具体的には自分で選べ、自分は何をどうしたいのか自分で決断決定実行しろということになる。そ…

女性の装い方

「近代日本の文明史的位置」に行く前に、もすこし続き。コメントですべからく避けられ(ぐっすん大黒)ていた「モード」について。

身体のモンタージュとしてのプロポーション

上記の井上八千代は、京舞井上流とはそもそも男舞でありそれが芸妓座敷舞として踊られる捩れを含んでるとはいえ、女舞地唄→男舞→女舞という修行の性バランスを説く*1。ロラン・バルトは『表徴の帝国』で、異形としての女形について書いているが、その表現さ…

メイクコントロールとしての身体デシプリン

機能水着の話でおもいだした。装着したロジックの出し入れ。 その一。ワタクシ野球についてはパープーなので、例年ニュースでとりあげられている「プロ野球春季キャンプ」とやらの意義がようわからんのであった。キャンプが行われる2月から野球シーズン開幕…

ロジックの装着

北京五輪を控えて盛り上がる?ハイテク水着レーザーレーサーをめぐる騒動。 着るまでに3人がかりで30分もかかるという強力な締め付けによって、動かないように体を抑えて形を流線形状にしつつ浮力姿勢を保ち、水の圧力抵抗を減らすといった機能であり、抵抗…