アート文脈に乗ったつもりのエンタメの綻び

昨今は「1億円プレーヤーをめざす」といきまいてる社会派アーティスト様のその語彙矛盾もさることながら、債券化・エンタメ化した現代アート周辺業界そのものがバブルという感覚がないまま、世界同時金融崩壊に影響を受けたアートバブル崩壊によって淘汰される内輪ノリなアーティスト症候群達に、果たして活路はあるのか。

シャレがハズれてカッコ悪い、Chim↑Pom

アート界隈では、ここんトコちょっと話題になっていた事件。

アート集団Chim↑Pomが、広島市の上空に飛行機雲で「ピカッ」の文字を描いていたことが判明し、ウェブ上で様々な議論をよんでいる。
同パフォーマンスは11月に広島市現代美術館の企画展に出展する作品の素材のために行われており、パフォーマンス時には広島市現代美術館学芸員も立ち会っているとのこと。平和を訴えるという名目の現代美術作品に原爆を意味する言葉が表現された事実に、被爆者や市民から「いくら芸術のためでも不快だ」との声も上がっている。

広島の上空に「ピカッ」、アート集団Chim↑Pomの作品が議論に 10月23日
http://www.cinra.net/news/2008/10/23/111636.php


Chim↑Pomプロフィール
http://www.mujin-to.com/artistschimpomprofile.html

最近一部でもりあがっている『トマソン*1などのような参加型冗談芸術というジャンルは、ルーツ的には60年代反芸術運動期から70年代パロディ期に展開されたもの。「現代アート」としてなされる、B級ローアートとバンドなどのエンタメの融合としてのパフォーマンスはとても多い。『美学校』で講師を務めていた会田誠の門下生で、高円寺の無人島プロダクションに所属し、元ミュージシャンをリーダーにして活動を続けるChim↑Pomは、ありえない前提を動かして現前化させる、既成ロジックの境界を踏み外すことの意義で成り立つ、いわば表現植民地運動であった。
ところが今回、良識市民達の不快の声にあっさり撃沈。招へい元の広島市現代美術館(MOCA)は、11月1日から展示予定だったChim↑Pom作品中止しさっさと公式サイトからChim↑Pom情報を削除、当事件について何も記載せず、Chim↑Pom参加はなかったことに。
この事件に関して発信側の、Chim↑Pomの当該パフォーマンスの質、準備&対応、美術館&学芸員の対応、の3点が詮議の俎上に挙げられる。
ためしでやっていたところを抗議を受け中止されたということで写真は完成形ではない。パフォーマンスの質に関しては、上記に書いたとおりB級パロディなエンタメという意匠でしかない。エンタメとしてもこれが表現として成り立つ大きな要素は、ほかでもない広島の空で「ピカッ」を描くことである。「シャレ」と「アート」の大きな違いは、その反作用が必ず起こるということを念頭において一貫したロジック構築を主体的にして初めて、作品強度ある「アート」政治のカテゴリーに上がることができる。果たして抗議がやってきた(シャレがバズれててベタになった)とき、彼らはどうしたか?なんと、陳謝=行為撤回(シャレをバズしてベタにした)してしまったのである。これは、どう見ても良識世間に合わせたロジックの後変更という愚行そのもの。

パフォーマンスの反響を受け、Chim↑Pomのメンバー、エリィのブログに多数の意見が寄せられたため、現在は公開を見合わせている。また、高円寺の無人島プロダクションで開催されていたChim↑Pomの個展『オーマイゴッド〜気分はマイアミビーチ〜』は、終了予定日の10月25日(土)を前にして、急遽22日で終了している。
問題となったのは10月21日の未明にアート作品制作のために広島市の上空に飛行機雲で書いた「ピカッ」の文字。平和を訴えるという名目の現代美術作品に原爆を意味する言葉が表現されたことがウェブ上で様々な議論を呼んでいた。
無人島プロダクションのウェブサイトには「このたび僕たちが作品制作のために、広島で行ったことに対し、被爆者の方々、ご遺族、ご家族、並びにその関係者の皆様に大変不快な思いをさせてしまいましたことを、深くお詫び致します。」との彼らからの謝罪文も掲載されている。

Chim↑Pomが「ピカッ」騒動の謝罪文をウェブサイトに掲載、展覧会は自粛
http://www.cinra.net/news/2008/10/24/215017.php

「11月1日より広島市現代美術館ミュージアムスタジオにて開催が予定されておりましたChim↑Pom展の中止につきまして」 無人島プロダクション
http://www.mujin-to.com/cphiroshima.html

当該パフォーマンスに対して、彼らは謝っただけではない。メンバーBlogは閉鎖しホームグラウンドでの個展中止の総自粛体制。自分達の今までやってきたこと全てを、自分たちで否定した。「良識市民抗議」には「善意の自粛」って「自己保身」。なーんだそりゃ?保身に籠るぐらいなら、最初からやるなよ!表現者としてひとっつも腹をくくってない。
同類項の中で遊んで内輪受けしていたのを、面白がりが見つけて公共の場へと鼻息荒く出張ってはみたものの意識は内輪なままで、いざ他者・異者と対話しなければならなくなった時、外に表現すべき言葉をロジックを持たない・考えたこともなかった彼らの表現は、そこでアッサリ崩壊した。無意味の意味という境界で成り立っていた表現世界を、自らの手で無意味に戻した自己完結。この一貫しない態度のぐしゃぐしゃで、当該行為はおろかChim↑Pomとして成された作品全ての価値が、揺らいでしまうこととなった。
それは当人達だけではない、広島美術館も学芸員無人島プロダクションも、誰ひとりとして表現フィロソフィをまったくもって欠落させている、事なかれ主義。そんな奴らが、よってたかって意識の低いアーティスト症候群さんを、「話題性」になると持ち上げては、使い物にならないと見るや否や、排除する。「素人の時代」の「素人」とは、このようなマッチポンプの駒で踊らされることでもある。

東京の芸術家集団が広島市上空に原爆を意味する「ピカッ」の文字を描いた表現行為で、市現代美術館(南区)の学芸員が「ゲリラ(的手法)でやるのがいい」と助言していた可能性が浮上した。二十四日、集団「Chim←Pom(チン←ポム)」のリーダー卯城竜太さん(31)が被爆者団体に謝罪した後、明らかにした。
記者会見での卯城さんの説明によると、飛行機を使って、煙で描く方法を提案したところ、予告をしないまま実行するよう学芸員から勧められたという。「事前に被爆者の方々と話をしてイメージを膨らませたかったが、学芸員にゲリラでやるのがいい」と話した。
表現行為があった二十一日には、美術館の学芸員も撮影現場の平和記念公園(中区)に立ち会った。一方で、神谷課長は「当初からこの作品を展示する計画はなかった」と積極関与を否定しており、チン←ポムの説明と大きく食い違う。
記者会見に先立ち、卯城さんは市役所で被爆者七団体のうち五団体の代表者と面談した。「大変不快な思いをさせてしまいましたことを深くおわび致します」と陳謝。広島県被団協の坪井直理事長は「ヒロシマを勉強していない。今回の教訓を胸に平和を追求してほしい」と語った。

「ピカッ」は学芸員助言の可能性 芸術家集団謝罪
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200810250107.html

被爆者団体に対面で陳謝したChim↑Pomは、当該行為を学芸員のせいにしている。たとえ学芸員の助言を得たとしても、Chim↑Pomよ、君たちには「表現主体」という意識はないのか?学芸員の言いなりにパフォーマンスしたり、クレームでロジックを右左する表現なんざあ、作者固有性の元に構築されるアートとは、とてもじゃあないが相容れない。>応答可能性=責任 id:hizzz:20081028
「当初からこの作品を展示する計画はなかった」というのは、サイト消した美術館側のトカゲのしっぽ切りな官僚答弁ではある。表現者としてChim↑Pomの勉強すべき点は、ヒロシマではなく、まず他者・異者の中でのスジの通った表現ロジックの貫通によるアート生成という大基本だろう。「日本のアートは10年おくれている」だろうが、そういうChim↑Pomの「面白さノリ」しかなかった主体意識は、アート世界からは100年遅れていた。

*1:赤瀬川源平が1985年に始めた。『美学校』の授業として雑誌『写真時代』に連載され、後に『超芸術トマソン』として纏められた。「トマソン」とは、当時高額で巨人が獲得したものの、まるで役に立たなかった外人選手の名前に由来しており、街中のまったく役に立ってないにもかかわらず保存されている現象を芸術に模している鑑賞活動。これはのちに、昭和の始め今和次郎考現学』をルーツとした藤森照信らの『路上観察学会』に接合していく。

アート文脈に乗った、爆発アート・蔡國強

さてその広島市現代美術館では現在、『第7回ヒロシマ賞受賞記念 蔡國強展』が行われている。

現代美術を通して世界へ平和を訴えた芸術家に贈られる「ヒロシマ賞」(広島市朝日新聞社など主催)の第7回受賞者で中国籍の現代美術作家、蔡國強(ツァイ・グオチャン)さん(50)=米国在住=が25日午後、広島市中区原爆ドーム付近の河岸で黒い花火を打ち上げるプロジェクトを行った。原爆の犠牲者への哀悼と鎮魂の意が込められているといい、約千発の黒煙火薬を使った花火がドーム上空で炸裂(さくれつ)する様子を多くの市民らが見守った。

ヒロシマ賞受賞作家、原爆ドーム上空に黒い花火打ち上げ
http://www.asahi.com/national/update/1025/OSK200810250076.html

これは、広島市内をバックに黒い爆煙をあげる花火という表現形態をとる。「広島の黒い爆煙」とは、原爆に他ならない。では何故、被爆者達広島市民にとって、この原爆をイメージする爆発アートは「ヒロシマ賞」OKで、Chim↑Pomの「ピカッ」は不快だったのか。欧米アート世界で認められ国際市場で高価な値がついたアーティスト様と、最近湧いて出てデカイことを言い散らしてる若者連中いう、国際ナントカへのへたれという内輪ノリと共存する島国根性もあるだろう。だからこそ「日本のアートは10年おくれている」という言い草がアジとして成立するのだ。が、それよりも、アート文脈でのそれは、他者・異者への応答可能性をもったロジック構築の大きな違いによる。
最近では北京五輪開会式の花火ディレクターを務めた中国福健省出身の蔡國強(Cai Guo-Qiang)は、火薬を多用した爆発アートという表現形態で各地をパフォーマンスすることで有名なアーティスト。9年ばかり日本に滞在し、筑波大学総合造形研究生であったが、梱包芸術が発展したクリストの「アースワーク」=環境芸術*1に、多大なるインスピレーションを得、文明の創造と破壊の象徴である「火薬」に着目しだした。
「人間は物体としてこの時空に存在することに不快を感じ、沸き起こる欲望を火薬という暴力的な手段によって外に発散し処理してきた。私は暴力がすべてを創造し、またすべてを破壊したことをよく知っている。」「火薬に集約される人間の一面にある暴力的本性が遍在するとき、戦争が発生する。芸術やスポーツは、そうした人類の根源にある衝動を浄化する役割を担うものだ。」という彼は、その火薬の「コントロールした暴力」を再構成表現することで創造へと転化する契機を、インスタレーションとして提示する。
特に後から検証しにくいインスタレーションを方法論として用いる場合では、発想・計画の起床段階から綿密なコンセプト開示が、作者に要求される。しかし再現が困難な一回性のインスタレーションでは作品としてビジネスはなりたたない故、その過程であるコンセプトのエスキースやシュミレーション・イメージやミニチュアモデル等の具現物での開示という方法で、計画の展示品として鑑賞・売買される。そのロジックの通りと、インスタレーションそのものの出来・完成度をもってして、初めて現代アートたりうるというのが、現代アートの文脈である。しかしワタクシ的には、「花火」というしかけそのもの人々の牧歌的驚きにたよること大な蔡の表現レベルは、繰り返す程に陳腐・凡庸化していき、だからこそ「ヒロシマ*2など暴力の記憶が濃い場所を「借景」として表現の中に必要とするのであるが、その記憶を拝借した部分だけ表現としては自律していない弱いものといえる*3。そのような訳で、アート的にはBC級なものだと考えている。
広島県原爆被害者団への謝罪後の記者会見で「世界の人が平和について想像できるチャンスをつくりたかった」と語ったChim↑Pomリーダー卯城竜太であったが、今更ながらにとってつけたようなその良い子的釈明は、現代アート・コンセプトの説明としても「面白ければよい」というアート文脈に物申すかのようなChim↑Pom活動総体からしても、あまりにも稚拙でスジの通らないことはなはだしいものであった。

*1:日常品をあざやかな布で覆って日常の中に提示することで、無意識の再意識下をねらったそれが、ビルや塔や橋といっただんだん大きなものから自然景観に発展した。日本では茨城県で「アンブレラ・プロジェクト」を実現。

*2:その昔蔡は、原爆発射高度で花火を爆破させるという「リトルボーイ」計画を立てたが、危険すぎるということで中止。

*3:社会派アートの脆弱さも、「社会的テーマ」に全面的に寄り掛かるという表現のこのような性質にある。>id:hizzz:20080521#p4

小室関連楽曲の配信・放送自粛と、善良なる視聴者

音楽芸能タレントを「アーティスト」と言い出したのは80年代が始めだが、90年代になってそれは、もはや当たり前のようになる。そんな時代に芸能タレントを格上のアーティストに仕立てて売り出すプロデューサーとして脚光を浴びたのが小室哲哉その人だ。彼が音楽著作権詐欺容疑で逮捕されたことを受け、レコード会社は直近発売予定だったグローブの新譜は発売中止、小室がミュージャンとしてメンバーだった楽曲はネット配信自粛。TV・ラジオ局は小室メンバーだった楽曲はリクエストがあっても放送自粛という。この楽曲に対する「くさいものにはとりあえず蓋」「右にならえ」自粛措置は、大変おかしい。
上で書いた通り、作品の自律性をもってしてアートとする表現原則からすれば、作家と作品(楽曲)は、別である。また、楽曲に於けるプロデューサーとミュージシャンの関係も、双方の固有性をベースに適切な役割マネジメントの元に成立しているものだ。仮にもし、作家と作品は一体のものであるとするのならば、小室ファミリーと称される人々、彼のプロデューサーを受けた楽曲全てに累が及ぶことにならなければスジが通らない。小室ファミリー自体はジャンルとしては往年の勢いを失ったとはいえ、まだまだ一線で活躍しているタレントは幾人もいる。そういう人々の過去プロフィールからも「小室ブランド」を末梢しえるのか。それは無理である。
例えばキース・リチャーズが麻薬所持で有罪判決を受けた時、ローリング・ストーンズの楽曲は、どこかの国で放送・販売が自粛されたのか?結局、レコード会社・TV・ラジオ局のしていることは、文化の創造伝達でもなんでもなく、ただのエンタメ業の営業でしかない。その営業見地からすると、小室メンバー楽曲ハズシという「小室ブランド」の線引きが、不正を許さない「良識」ある視聴者様の批判をなんとか曖昧にやりすごす手段となったのであろう。かってかの者達を「アーティスト」と華々しく持ち上げたそのドコにも、アートはない。いま彼らの眼中にあるのは、市場からの「小室ブランド」とその商品の撤収ってことである。報道される内容も、100億だの5000万だの、金・金・金にまつわるハナシばかりである。この事態に、「アーティスト」の出現と共に独立した文化価値を標榜せんと嵩上げしたカルスタ「J-POP批評」とやらは、どう対応するのであろうか。やっぱり、過去の人扱いってことで終了か。
ワタクシは、小室哲哉自身にもその楽曲にも小室ファミリーというエンタメ1時代に対しても、どれ一つ思い入れはない。通常、一般的な制作現場では、プロデューサーの役割は統括者として特に資金調達・管理と対外交渉を中心にする者である。その下のディレクターは、制作内容・過程の交通整理=監督をする。その下にミュージシャンなどのパーツ制作実行者=クリエイターがいる。小さいプロジェクトでは兼任されている場合もあるが、なんでそんなに役割分業化するのかといえば、ややもすると制作という実行パッションが突っ走りがちな場所では、尚更に冷徹な第3の目によるコントロールが、統合的見地として必要になるからである。能力的には小室は、非常に優秀なクリエイティヴ・プロデュースを兼ねたディレクターであって、本来、総合マネジメントを仕切り続けるだけの情勢判断力はなかったのであろう。今マイナスでも一発当てればすぐ盛り返せるという過去成功体験にとらわれてるバブリーな小室を、マネジメント&サジェストする良人材が付かなかった(もしくは去ってしまった?)悲劇ともいえる。
年利60%ものアヤシイ筋からの借金ループに嵌った彼は、彼らにその「小室ブランド」過去の栄光を骨の髄まで使い倒される前に、「地検」という強制権力組織介入で公的清算せざるを得なくなって、かえってよかったのかも、、、しれない。