なかよし

さてさてそんな価値観の違いがあるダケで、それを御互いに歩み寄るという方法論を放棄するなら、後は自己価値を高めることで相手を粉砕するという方法論が自動的にクローズアップされる(『電波男』がその方式)。それは、自分のライフスタイルと相談して好きにすればいいのだ。それを過剰に外部承認もとめようとしだすからコンフリクトがおこる。
この論争モドキでは、「人格」なんて言葉まで飛び出してどうもそれが最上であるがごとき扱いでまたもやみんなの好きな人格論争になりそうなのだが、しかし、他者を占有したいという恋愛エロス(快楽)の根源は人格っていうのだろうか。ウソでー。いやそうだというならそれは「自己(人格)承認」ていう欲望だろう。
モテ非モテという価値観が、「一般的に好ましくおもわれる人物」=イケメンという相対評価で計られるのに対して、相思相愛を目指す恋愛は、「特別なあなた」という絶対差別化した個人的価値観が作動する、偏差値的/普遍的な相対価値基準とは極北にあるものだ。でー、どんなに狂う程モテても、一番モテたいと想う対象者にソデにされれば、意味がナイ。どんなにキモくてどーしようもない人格破綻者でも、愛してしまえば、イケメンなのである。そもそも「恋愛経験」することが至上の価値であるという意識が双方あるから、モテ非モテ価値観でこんなに「傷つく性」としてピリピリするんだろう*1

キモメンが、「俺は男だ」と宣言して池鶴関係を乗り越えようとすると、その瞬間に女がドン引きして逃げてゆく

本田透『電波男』

ニーズとウオンツの違い。いってしまえば、「俺は男だ」自己愛にエクスタシーを感じる者と、感じない者の不毛劇。性別問わず自己愛に一生懸命なものは、まずもって他者の、求める自己愛が一致する者同士意外のハナシは、まず、聞かない
自己のアイデンティティと恋愛のプライオリティに「俺は男だ」を掲げるひとは、外見/中身論争でいうと、「俺は男だ」ということが重要な中身なのであろう。そうしてそれに賛同する男性が多い。対して女性は「私は女だ」とアイデンティファイしてるかといえば、そういうひとは少ないようだ*2。 前回カキコしたF1層でもある(「顔」「スタイル」「若さ」をクリアした)ギャルid:hizzz:20050828 のように極端でなくても、外見をくるくる変える女性は年齢関係なくよくみかける。外見だけでなしに、カレシが変わると趣味から友人関係からふるまい全てを総とっかえする女性もよく拝見する。その反対に付きあうカノジョが変わるとふるまいを総とっかえする男性は、、、殆ど見かけない。
そもそも外見/中身に自己同一性を自他共に求めない者だからこそ、不利益きわまりない「俺は男だ」に拘って進退きわまっている状態が「ありえなぁ〜い」とキモくなるのであろう。そして自己同一性に全存在を託す者だからこそ、そうでない「変わり身の速さ」に接触の手掛かり=個体同一性を喪失し、女という抽象全体カテゴリーにすがるのであろう。

女性不在のまま、「女はオタクが嫌いだ!女は顔で男を判断する!」と決めつけて悲観してる男性が多い気がしたので、「そんな事ないってば」って言ってあげたかった。女にも非モテはいるんだから、仲良くしようよとも言いたかった。でもそれこそが、一番やっちゃいけない事だったんですね…。
はぁ…疲れた…。基本的にみんなと仲良くしたいから、こういうのほんとイヤ。

http://d.hatena.ne.jp/pippi/20050820


「基本的にみんなと仲良くしたい」とおっしゃるpippiさんと、それにドン引きして攻撃する男性とで、実は守ろうとするトコは、多分同じなのであろう。「正しい恋愛」id:hizzz:20040705#p3 にもカキコしたのとダブるが、遠くの繋がるか繋がらないか判らない関係に一喜一憂してるよりも、近くの非モテ同質軍団を重視しようとする点では。ただ、そこは異性という異質(判りあえない関係)は排除し、建前シールドをはりめぐらすことで初めて、(自己中だろうが)安らぎの空間となるトコだったりするからなー。
気持ちは判るが、いや、ねー、恋愛は「みんな仲良く」ぢゃなくって、特定独占という占有権争いの面があるから、相容れない。エロとエゴ抜きで語られる恋愛のウソくささ*3っていうのは多分にあるしなー。
恋愛観も含めてそれは集団でなかよしなんぢゃあなくって、たとえ自己愛でもキモ愛でもひとそれぞれ自分のペースで営んでいればいいもんなんだよ。だからこの手のハナシを恋愛談義としてでなく、 all or nothing的恋愛価値観論決の同一共有を求めてるとしたら、固有性を無視した妙なものに(天皇制みたく)なる。ひとの間には、固有性というディス・コミュニケーションがあるからこそ、関係を繋ぐことって刺激的で面白かったりもするんだけどね。

*1:丁度90年代のAC女性がそうだったように世間的価値を殊更に内面価値化して「傷つく」と主張する男性が出てきたのとは別に、「傷つける性」として自らをアイデンティファイする男性オタクも登場しだした。これはひたすら脳化してたオタク自身の身体性の発見ということなのか?それとも脳を肥大化させて三次元(異性)身体を取り込こもうとする「人類補完計画」な自己完結欲望の結果なのか?>id:genesis:20050728/p1

*2:http://www14.big.or.jp/~onmars/index.cgi?date=2005.08.03

*3:「純愛」だの「純潔」だののススメは、一見正しく美しそうでいて実はすさまじく一方的な御都合主義エゴ丸出しっていうケースが殆ど。