もう一つのホロコースト

欧米で神聖化したホロコーストの悲劇と、それを金儲けに利用するユダヤ系産業資本を批判して、「ホロコーストの唯一性を主張することは、ユダヤ人の唯一性を主張することになる。ユダヤ人の苦しみではなく、ユダヤ人が苦しんだということが、ザ・ホロコーストを唯一無二のものにする。言い換えれば、ザ・ホロコーストが特別なのはユダヤ人が特別だから、ということだ。」と、ノーマン・フィンケルシュタイン『ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』は指摘した。その無謬特別枠をゲットしたユダヤ人に対して、埋没してしまった人々がいる。
ホロコーストの被害者について、彼は続ける。「ナチは50万人ものジプシーを組織的に殺害したが、これは比率で言えば、ユダヤ人虐殺にほぼ匹敵する犠牲者数である。イェフダ・バウアーなどのホロコースト・ライターは、ジプシーの犠牲はユダヤ人への残虐な攻撃とは違うと書いているが、ヘンリー・フリードランダーやラウル・ヒルバーグといった優れたホロコースト歴史家は、同じだったと主張している。」フィンケルシュタインによれば、ひとつの民族と認知されていない「ジプシー」と、ユダヤ民族とが同等であるとついぞ思い至らず、「単純に、彼らはジプシーの死とユダヤ人の死を並べて考えることができない」し、「ジプシーの大量虐殺を認めれば、ザ・ホロコーストの一手販売権を占有できなくなり、それに伴ってユダヤ人の『道徳的資本』も失われ」、「ナチがユダヤ人と同じようにジプシーを迫害したということになれば、一千年にわたる異教徒のユダヤ人憎悪が最高潮に達したのがザ・ホロコーストである、という教義がまったく成り立たなくなるからである。」激烈な口調で述べる。
ナチスは1939年10月にいわゆる「収監通達」=ロマ移動禁止令を発布、それ以降各地に「ジプシー勾留収容所」が設置された。そして、そこに強制収容された人々のその後の運命は、ユダヤ人たちと同一の悲劇が待ち受けていた。*1
ホロコースト」という言葉そのもの意味が、「燔祭の供物」を意味するユダヤ教の言葉(もともとギリシャ語)であり、一般的にホロコーストは「ナチスによるユダヤ民族の大量虐殺」と理解されている。が、ナチス疑似科学的「人種学」によって「異民族の血統」とされ、「ユダヤ人」も「ジプシー」も「劣等人種」の烙印が押され*2、それら民族の殲滅作戦=ホロコーストが企画された。その意図や実行方法からすれば、ユダヤ人のホロコーストもロマのホロコーストもまったく変わらないのだが、ホロコーストを裏付ける史料が、ロマ民族の場合よりも、ユダヤ民族に関してはるかに多く残されたという違いがあった。が、1989年以来、東ヨーロッパ諸国の資料館に保管されている諸資料が開示されるようになり、資料的にもロマのホロコーストを裏づけるさまざまな新事実が発掘された。

*1:例えば、アウシュビッツ死の天使・メンゲレは、「医学実験」に好んでロマの子供を使ったという。

*2:1935年9月発布ニュールンベルグ法の「ドイツ血と名誉を守る法」は、祖父母4人のうち、ユダヤ人3人が含まれている場合を<混血ユダヤ人>、ユダヤ人2人が含まれていると<半ユダヤ人>、1人のユダヤ人が含まれると<4分の1ユダヤ人>と規定した。ジプシー(ロマ)は、曾祖父母8人にロマが1人でも含まれていると<混血ジプシー>とされた。そして、アーリア人(ゲルマン系北方民族)と、<異人種の血統>とされたユダヤ人・ジプシー・黒人との結婚・婚外交渉禁止。違反者は<人種恥辱罪>あるいは<血の罪>という罪状名で晒し者となるか収容所に送られた。ユダヤ人が「ダビデの星」を衣服に付けとくことを義務づけられたが、ロマのそれは「ツィゴイナー」と書かれた黄色の腕章であった。