国民の線引き

同性愛者や精神病者や犯罪者といった個人属性の他に、ナチが収容所送りにした人々の民族属性として、ユダヤとロマ(スィンティ=ドイツ・ロマ)*1を名指ししたということは、ほかの民族と比べて、彼らが「土地」に根差しているかいないかの大きな違いがあったことにもよるだろう。だからこそ、戦後ユダヤ民族達は、イスラエルという土地を領土として獲得することを、差別・侮蔑の解消と自己アイデンティティ確立の第一義にかかげた。
以前書いた通りid:hizzz:20090204、ヨーロッパでは、特定地域にまとまって住んでいる人々が、やがて固有の文化によって他の集団と区別しながら、民族集団としての纏まりを確保し、その幾つかが結束して国民国家を構築し、自身の権利と安全を確保するに至った。
しかし、多民族が複雑に入り組んでいる地方では、どのようにラインを引こうとも、どうしても、そのラインから漏れてしまう部分(民族と生活圏)が出てくる。19世紀から今日に至るまで、国民国家形成のために国境線が目まぐるしく変更されてきたが、その度ごとに国家の主役からはずれた少数集団が、国外に強制的に移動させられたり、あるいは虐殺されてきた。国家の主体をなす民族集団の権利を保障するフレームとして生み出された国民国家は、民族集団を多数派と少数派にはっきりと分け、新しい人種問題を生み出してきたのである。

優れたヨーロッパ他誌の著者として知られるアメリカ合衆国の文化地理学者ジョーダンは、ヨーロッパを「特定の文化をもつ人々が居住し、その文化の刻印がなされている地域」として描写したが、それは、特定の文化を持つ人々、つまり民族集団が、ヨーロッパ各地に固有の居住地域をもち、自己の権利を主張し、安全に豊かな生活を確保するための地域的な広がりを要求してきたという歴史的経過を反映したものであった。言い換えれば、ヨーロッパという地域は、政治力や経済力に違いこそあれ、特定の地域と結びついた民族集団が共存し対立を繰り返してきたところとして理解することができる。
国家の枠組みを越えた統合を推し進めているEUも、まさにこうした文脈の中でとらえることができる。すでに述べたように、ヨーロッパのほとんどの国は、民族集団を母体にして生まれた「国民国家」であり、ゆえにこれまで繰り広げられてきた国家間の紛争のほとんどは、民族間の対立を意味してきた。そこで国家間の対立を解消するヨーロッパ統合は、国家をもつ民族集団間の融和と相互理解があってはじめて実現されると考えられる。国家の連合体としてのEUの運営にそれぞれの国を担う民族集団が平等に参加することが前提になっているのは、こうした経過を踏まえれば当然のことといえるだろう。
しかし、現実はヨーロッパに居住する民族集団のすべてが国家をもっているわけではない。それどころかヨーロッパにはきわめて多くの少数民族集団がおり、それぞれが帰属する国家内で自身の権利を確保するための主張や運動を行っている。なかでもロマは、ヨーロッパのほとんどすべての国に居住し、総数800万人以上といわれながら、国家をもたず、しかも数百年にわたって激しい差別と迫害を受けてきた。このことが、国家を単位にした地域統合を進めるEUのシナリオにおいて、彼らの地位を斟酌されにくいものにしてきた理由の一つであるし、実際、最近まで彼らの存在すら真正面から議論する機会は限られていた。

加賀美雅弘『「ジプシー」と呼ばれた人々―東ヨーロッパ・ロマ民族の過去と現在

*1:ロマのいくつかの集団のうちの一つの名称。伝統としてきた生業がそれそれに別で、それに従って言葉も変化している。東部ヨーロッパ「カルデラシュ」、中部ヨーロッパ「マヌシュ」、南西ヨーロッパ「カレー」に大別され、「スィンティ」はマヌシュ系のドイツにいたグループであり、伝統職業は楽器制作職人や楽師。