EUとロマ・少数民族

1999年欧州評議会は、「EU加盟申請諸国におけるロマの地位改善のための対策に関する原則」を決定した。「OSCE(ヨーロッパ安保協力機構)の公約に則り、ロマに帰属する人々が直面しているきわめて重大な困難を認識する必要がある。そして、安全な機会均等を実現するための効果的な対策に着手する必要がある。ロマが社会において安全に平等な立場で活動できるよう、彼らに対する差別を根絶するための努力がなされなければならない。主たる目標のひとつには、多くのロマが住居する国々にロマの問題への包括的なアプローチを行うよう指導することである。ロマと非ロマの間に橋をかける努力が、長期にわたる問題の解決の展望がロマの地域の改善にとって重要なのである。」2000年、人種や民族集団によって差別されない平等の原則の適用を促す、EU基本設立条約が制定され、職業においても平等に扱われることを目的とした一般的枠組みを決定した。その中で「少数民族集団に降りかかるあらゆるかたちの差別に対して、適切な措置を講じる。」「ロマとスィンティの子供たちのために、彼らが必要とする教育制度を整備する。」「移動生活者のために、ヨーロッパ共通の身分証明書を導入する。」と、ロマなどの少数/移動民族に対する保護も明確に言及された。
が、しかし、結局これらが明言されているということは、ヨーロッパ各国に於いて、これらの基本的人権が、ロマ達少数/移動民族には、これまで省みられてこなかったということも示す。
ナチス後継国に属しながら、戦後「ナチス被害国論」を公的歴史観として唱え、自国の戦争責任公認を回避しつづけたオーストリア政府の態度を激しく批判する金子(オーストリア在住)は、ヨーロッパへの玄関口に位置するオーストリアにある排外主義と共に、ロマ並びに流入移民達に対する冷たい態度を指摘する。

オーストリア国内在住のすべてのロマが「民族集団」の構成員として認められたわけではなく、それがあくまでもオーストリア国籍者のロマ、政府の言葉を借りれば「原住」とされたロマに限定されたことだろう。それは旧態依然とした時代遅れの「民族国家」的解釈であり、ヨーロッパ統合というEUの精神からもかけ離れているといわねばならない。
1960年代以降、東ヨーロッパ諸国(おもにユーゴスラビア)から多数の外国人労働者が、さらに1990年代に入ると、旧ユーゴスラビアチェコルーマニアブルガリアなど体制が崩壊した国々から、多くの政治難民オーストリア流入した。オーストリア在住の合法的外国人は、1993年度に286,667人を数え、外国人労働者はオートリア労働人口の9.3%を占めるに至った。その正確な実数は判明しないものの、数千人規模のロマもそれらの外国人労働者や難民に含まれている。他国から流入したオーストリア在住のロマの大多数は、東ヨーロッパ諸国の国籍をもつ「外国人」であるため、「民族集団」の範疇に含まれない。つまり、オーストリア政府による何らの保護も期待できないばかりか、外国人としてのさまざまなふりを蒙っている。「外国人の社会統合」に関する1995年実施の調査は、「調査8ヶ国のうち、オーストリアの外国人関連法がもっとも厳しい」と結論づけている。かなり長期にわたってオーストリアに在住した外国人ロマがたとえオーストリア国籍を取得したとしても、やはり「民族集団」の構成員としての権利を獲得することはできない。なせなら、オーストリア国籍取得後、継続して3世代をオーストリアで暮らさないかぎり、「オーストリア原住者」と認められないからである。同じロマ民族に属しながらも、「民族集団」としての保護から完全に除外されているため、外国人ロマの社会的状況はオーストリア・ロマのそれよりもさらに劣悪である。外国人ロマの相談業務をおこない、それらのロマが直面する諸問題の解決に尽力しているロマノ・ツェントロやケタニ協会のような自主的なロマ組織もあるが、オーストリア中央・地方行政の外国人ロマへの対応は、総じていえば冷淡であるというほかはない。

金子マーティン『「ジプシー収容所」の記憶―ロマ民族とホロコースト

EUでにわかにロマが注目され議論の対象になってきたことは、EUの旧東ヨーロッパ諸国への拡大の流れと連動する現象である点に、加賀美は注目する。

ロマの多くが旧東ヨーロッパ諸国に居住していることから、東方への拡大はEUが多数のロマを抱え込むこと、ロマがEU域内における最大の少数民族集団になることを意味していた。ハンガリーチェコ、スロヴァキアなどの加盟申請国に対して、EUが各国内にあるロマ問題の解決に厳しい注文をつけたが、それは、それぞれの国において依然として十分な権利と安全を確保していないロマに対するEUの積極的な保護の姿勢とみることができるだろう。しかし、従来からのEU加盟国においてすら、ロマに対する保護の対策がいまだ十分になされておらず、ロマの社会的問題が表面化している現実を見るにつけ、近年になってロマ問題が積極的に議論されるようになったのがむしろ、加盟国の増加によって多数のロマを抱え込み、労働市場社会保障制度への新たな負担を背負い込むという不安に対するEU加盟国の保身的な動きと見えなくもない。
いずれにせよ、ヨーロッパを統合するEUが多様な民族集団で構成される以上、ロマが民族集団としての尊厳をもち、基本的な権利を確保できるような枠組みが新たに提示される必要がある。ロマの地位を向上させ、EUの一員として統合に積極的にかかわる体制づくりが今、求められている。
これら新規加盟国に多く居住するロマの人々が、経済統合の実現にとって重要な鍵になっている。彼らの生活水準を高めることなしに、これらの国々がEUの経済統合に参与することは難しい。これは、従来からの加盟国にとっても重要な問題である。彼らが、よりよい生活や就業先を求めて国境を越え、特定の地域の社会保障制度や労働市場を混乱させることが危惧されている。ドイツやフランスなどは国内にすでに多くの外国人労働者を抱えており、新たにロマが大量に流入すれば失業者が増加し、社会不安が高まることが予想されるからである。

加賀美雅弘『「ジプシー」と呼ばれた人々―東ヨーロッパ・ロマ民族の過去と現在

かって石原慎太郎が『中央公論』1989年10月号で得意げに、「ヨーロッパで行われている幼児の誘拐はジプシーたちの新しい仕事の一つで、彼らを操る協力かつ広範なシンジケートが存在していて、その組織に依頼されてくる注文に応じて密かに獲物が物色され、機会を捉えての巧みなあるいは強引な誘拐が後を絶たない」と偏見をぶちかましていたが*1、保守化を強めるイタリアでも、治安悪化をロマのせいにして、彼らを「強制管理」しようとする動きが出ている。

イタリアのイニャツィオ・ラルッサ(Ignazio La Russa)国防相は11日、全国民から指紋を採取する方針を明らかにした。政府が進めるロマ人全員に指紋押なつを義務付ける政策が、欧州連合EU)から「人種差別」と批判されたことを受け、これをかわすための措置とみられる。
ロマ人からの指紋採取は、ロベルト・マローニ(Roberto Maroni)内相が前月26日に発表した政策で、国内のロマ人集落で暮らすロマ人とその子どもたちから指紋を強制採取するというもの。EUは10日、これを「人種差別政策」であるとして、イタリア政府に撤回を求める決議を採択した。イル・メッサジェロ(Il Messaggero)紙の報道によると、ラルッサ国防相はこうした批判をうけ「この際、国民全員の指紋を採取することにする。これならば人種差別との疑いも払しょくできるし、ロマ人の子どもたちからも指紋をとれる」と語った。ラルッサ国防相は、右翼政党「国民同盟(National Alliance)」議長でもある。
キリスト教の慈善団体「聖エジディオ共同体(Sant'Egidio)」の調べでは、イタリア国内に暮らすロマ人は13万人から15万人とみられる。しかし、こうしたロマ人に対しては、犯罪や治安悪化を招くとして厳しい目が向けられている。

伊国防相、ロマ人差別批判をかわす裏技 「全国民の指紋採取を」 2008年07月11日
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2416951/3116424

EUの美しい理念の積み重ねの影で、いかに差別というものが根づよいか、人々にかさぶたのようにべったりとへばりついているのか、それが故に殊更に意識的になっておかねばならないのである。
アムネスティ・インターナショナル総事務長は、アムネスティレポートの前文で、国際法に対する挑戦的アメリカの態度と共に、「法の支配の尊重によって結びつき、共通の基準と合意によって形作られ、寛容と民主主義と法治主義と人権に献身する価値観の連合体」をうたっている欧州連合が包括している筈の、ヨーロッパの二重基準を指摘している。

EUの規制を行き過ぎたという不満の声は多いが、域内の人権規制の不足に憤る声はほとんどない。現実には、EUは、EU法の枠外にある人権問題に関して加盟国家の説明責任を果たせることができずにいる。2007年に創設された基本的権利局が委任された権限は限られていて、現実的な説明責任を要求することができない。加盟を求める国には高い人権基準を要求(それでいいのだが)しながら、いったん加盟が認められた国は基準に違反してもほとんど、あるいはまったく説明責任を求められないのである。
EUにしろその加盟国家にしろ、自らが拷問に荷担していながら中国やロシアに人権尊重を呼びかけられるだろうか?EUは、自らの加盟国が難民と庇護希望者の権利を制限しているというのに、他のずっと貧しい国々に国境を開けと要求しできるだろうか?域内に暮らすロムやムスリムや他の少数民族に対する差別に取り組むことができずにいるのに、外国に対して寛容を説くことができるだろうか?

アイリーン・カーン「果たされなかった約束」レポート前文

欧州全域で、ロマに対する差別が根強く蔓延していた。ロマは多くの局面で一般生活から排除され続けており、住宅や雇用、保健サービスを十全に利用できずにいた。一部の国々の関係当局は、ロマの子供たちが差別なく教育を受けられるよう環境を整えることが出来なかった。それらの国々では、ロマの子供向けの特別教室の設置が黙認され、多くの場合、むしろそうすることが奨励された。これらの特別教室では、一般とは違う簡素化されらカリキュラムが教えられることもあった。ロマはまた、ユダヤ教徒イスラム教徒同様、憎悪犯罪の対象とされた。ロシアでは、暴力を伴う人種差別的な襲撃が懸念すべき頻度で何度も発生した。
多くの人々が、法的身分を理由として差別に直面した。これは旧ユーゴスラビアや旧ソビエト連邦などでの内紛により避難してきた人々が含まれる。住民登録や住居権との関係で、これらの人々に認められた権利は限定的であり、あるいは全く権利が認められていないこともあった。

ヨーロッパ─人種主義と差別
世界の人権2008

アムネスティ:ロマの人びと
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=3308
・ロマ問題に関するヨーロッパ評議会
http://www.coe.int/T/E/Social_Cohesion/Roma_Gypsies/
・ヨーロッパ・ロマ人権センター
http://errc.org
・反差別国際運動(IMADR) 国際人権NGO
http://www.imadr.org/japan/minority/roma/
・ロマとルーマニア
http://gipsy-romania.seesaa.net/
http://pweb.sophia.ac.jp/shimokawa/zemi/2005doc/makiful.pdf
ホロコースト研究におけるロマ民族の位置づけ―犠牲者間の差異をめぐる考察―
http://www.hokudai.ac.jp/imcts/imc-j/imc-j-4/chiba.pdf
ホロコースト研究における犠牲者の「追悼される権利」の前景化について―「記憶の戦い」をめぐる議論を中心に―
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34580/1/P135-154%E5%8D%83%E8%91%89.pdf
・シンティ・ロマの戦後補償─三つの要因の視点から─
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/8287/1/g_housei_p095.pdf
・ジプシーを追いかけて−アラブ世界のジプシー
http://ethno-mania.at.webry.info/200603/article_6.html
・排斥されるロマの人々
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/gendaisekai/2008/06/post_2a5c.html
・『「ロマ」を知っていますか―「ロマ/ジプシー」苦難の歩みをこえて』IMADR‐JCブックレット
・『ジプシー差別の歴史と構造―パーリア・シンドローム』 イアン・ハンコック

「パーリア」とはどこにも所属できない状態のことを指す
・『立ったまま埋めてくれ―ジプシーの旅と暮らし』イザベル・フォンセーカ
・『ジプシーの歴史 東欧・ロシアのロマ民族』デーヴィッド・クローウェ
・『ジプシーの来た道―原郷のインド・アルメニア』市川捷護


ロシア・ロマの小屋 Joakim Eskildsen

In his foreword to the extensive book that accompanies the exhibition Günther Grass writes:

„More than any other people, with the exception of the Jews, the Roma have been subjected to constant persecution, discrimination, and systematic annihilation. It is an injustice still in evidence today. The Roma, and with them the Sinti people, are now only gradually receiving the recognition due them as victims of the criminal racial policies of the Nazi era. While the genocide of the Jews has become inscribed in our minds, admittedly in the face of some resistance, the annihilation of several hundreds of thousands in other words of countless „worthless Gypsies“ in the extermination camps of Auschwitz-Birkenau, Sobibor, Treblinka and in many other locations of terror is mentioned at best incidentally.
This community has been looking, if not for a home, then at least for a temporary place of residence in Europe for as long as 600 years, and more, but as soon as its members attempt to find a resting place on our neighborhood the „gypsy life“ starts to lose its attractions. When this happens, the „travelers“ should start looking for somewhere else to stay. If necessary, we invoke the kind of other foreigners that we just about tolerate and they, in turn, immediately start to lose their patience at the sight of Gypsies.
The Roma people exist somewhere beyond all provident care, only seldom does anybody speak up for them, and they cannot think of any nation that would be prepared to give them a voice that everybody would listen to.
This people has an estimated 20 million members, the single largest minority in Europe and one that none the less does not receive sufficient recognition. Where does this inexact figure come from? Nowadays we all want to know everything exactly, to know everything to the exact fraction of the decimal point. We have replaced our morning and evening prayers with statistics and stock exchange listings, we are professional number crunchers, yet, as soon as we want to know more precisely about this so numerous people, we are forced to rely on rough estimates. There are reasons for this imprecision. Whether it be here in Germany, in Lithuania, in the Czech Republic, or Slovakiaindeed throughout Europe – many Roma simply do not dare to reveal their backgrounds. Experience has taught them of the injuries they and their families can be subjected to once they have been identified – which means registered.
Only some rudiments of their language, Romani, have been recorded in written form.
And there are reasons for this reticence, too: a purely oral mother-tongue tradition has greater chances of survival in a consistently hostile environment. What cannot be recorded in writing evades its persecutors more easily. (…)“

Joakim Eskildsen『The Roma Journeys
http://www.fotomuseum.ch/fileadmin/fmw/pdf/Presse/Eskildsen/JE_pressetext_e_2_.pdf
プレス画像>http://www.joakimeskildsen.com/default.asp?Action=Menu&Item=113

*1:日本人の偏見ステレオタイプないかにも文言を発掘しようとすると、石原慎太郎程「使い手」ある発話者がいないとゆー現状は、なんともはや。。。多分石原は映画などメディアで表象されている「流浪の民」的ステレオタイプを踏襲しているのであろうが。