「ホロコースト」はユダヤだけ示す、果たしてそれが正しい歴史定説か?

ネットの一部で「ホロコーストユダヤ唯一性」を主張して、ナチの「最終解決」撲滅作戦を、ユダヤとその他(ロマ、ポーランド人、犯罪者、障害者、同性愛者)とは区別すべきだとする説がある。端的に言えば、ホロコーストに関して、ロマその他を含めないでユダヤについて問題にしたいというのなら、「唯一無二性」などという絶対的・本質的な意味を持って、関連方面に優越をつけかねない言葉に固執して軋轢を生み出すことを避けようとアクロバットな為にする論理を展開するより、単に「固有性」または「特性・特徴」で、済む話なのではないか?別に関心がそこにない人にロマを語れと言う訳ではない。がしかし、ナチ「最終解決」問題対象者として、ユダヤ以外を認識しているのならば、もう少しセンシティヴな言い方があるだろうと申し上げている次第である。ワタクシの少ない経験であれなのかもしれないが、今まで読んだマトモだと思われる現在の各事象に十分通用している歴史学者本に於いても、ナチス/ホロコーストに関する文章で「ユダヤの唯一無二性」なんて記述には、いやそれがなんであれ、ある事象を指して「唯一性」などという表現をつかって比較・解説しているケースにも、おめにかかったことがないので、あまりの過激な表現に飛び上がったというのが、第一印象なのであるが。。。*1
そこにコメントして反論しているのであるが、もすこし根拠を示すと以下である。>id:hokusyu:20090324、id:hokusyu:20090326

ナチス人種隔離政策の中身の観点から
hokusyuさんはユダヤの唯一性として「ユダヤ教を信仰している者」を人種として迫害されたと主張している。元来「ユダヤ人とは誰か」というテーマはしばしば問題となってきた。*2「優秀なるアーリア民族」の裏返しとしての選定内容に、個々カテゴリーの区別=個別内容(個々集団の社会的関係性)はそりゃある。だから具体的に、ユダヤとかロマとか犯罪者とか特定集団として名指しするのである。
ナチが規定したユダヤ範囲は、4親等である。さて、「ロマ人とは誰か」は、ユダヤ以上にもっと曖昧である。だからか、それまでジプシーとして扱われていた者とその8親等が、その迫害対象となった。ユダヤ以上に混血が進み世俗化していたことの現れでもある。さてその他に人種として「ポーランド人」も迫害対象になっているが、それは全ポーランド人ではなく、一部のドイツ領にいて邪魔なポーランド人であった*3。その他の、犯罪者・障害者・同性愛者などはいずれも、そうみなされた当人のみである。要するに、カテゴライズ範囲が親族・一族郎党に及ぶのは、ユダヤとロマなのである。従って、人種を理由に有無をいわさず虐殺対象となったのは、ユダヤとロマといえよう。

ザモシチ、ベルリン、アウシュビッツの間の列車運行プランは、入植と追放の相互関連、選別と民族の大量殺害の関連、「人員投入」の内的論理、いわゆる積極的、消極的住民政策の計人画的、組織的統一を裏書するものである。「価値の高い者」の助成と優遇は、「価値の低い者」の周辺部への排除と見合うものであった。こうした緊張関係の中で初めて、全体主義的生物学主義は、当初はドイツ人精神病患者の殺害、やがてヨーロッパのユダヤ人とジプシーの殺害に進んで行くあの原動力を獲得したのであった。「T4作戦」はそのかぎりでホロコーストのための具体的な経験としてその基礎を作ったのであったが、それだけではなく、またその具体例でもあった。それは生物学的「排除」という思考を支配者民族の内在的生活原理そのものとして認めるものであり、それだけに容易に外に向かって、他の集団に押し付けられえたのであった。

ゲッツ・アリー

(加害者ナチスの視点を資料に機能主義的に、1939〜1942年ヴァンゼー会議「最終解決」の決定にいたるプロセスを描いた本は)戦後の西側世界が一貫してホロコーストに議論と意識を集中させ、アウシュビッツを凝視し続けていることの重要性を守りながら、しかし、それによる視野狭窄を意識されてくれる…精神病者、シンティ・ロマに始まらず、東ヨーロッパ諸民族も同じような被害者なのである。…犠牲者にある種の序列ができている事態に、アリーを読むものは懐疑と反省の芽を向けさせてくれるだろう。

解説:三島憲一
ゲッツ・アリー『最終解決―民族移動とヨーロッパのユダヤ人殺害 (叢書・ウニベルシタス)

1955年の(ドイツ)補償当局のコンメンタールでは、「ジプシー」は「国家の災難」とみなされていたため、1933年の行動は「人種的迫害」ではなく、「ジプシーの特徴(反社会的行動、犯罪、放浪)」が原因であったと述べられている。また、シンティ・ロマになされた迫害の原因を彼ら自身の「反社会的行動と見る態度は、補償当局のみならず、司法当局においても見られた。1956年、連邦通常裁判所はシンティ・ロマへの集団的迫害の開始時点についての判断を下し、1943年以降になされたシンティ・ロマへの迫害は人種的動機に由来することを認めた。しかし同時に、1943年までの迫害について人種的動機を認めない判決を下した。それゆえ1943年以前にナチスの措置により迫害を受けていた人々は、個々の事件において人種的理由による迫害であることを自ら立証せねばならず、その結果、これらの補償申請の多くが却下された。
1963年5月に連邦通常裁判所は、…シンティ・ロマになされた人種診断をナチによる迫害であると認定した。これに伴い、法手続上でも補償の申請を却下していた人々の再審査申請を認める救済措置が採られた。…しかし、このような判例変更や救済措置、法律制定にもかかわらず、ほとんどの裁判官はシンティ・ロマへの偏見に基づき、人種的理由ではなく労声門解怠や「反社会的分子」であることを理由とした迫害とする認定を行なった。そのため、多数の人々は補償法の適用を受けることができなかった。
1979年1月22日から28日まで放映された連続テレビ映画『ホロコースト』は、自らの名においてなされたおぞましい行為をドイツの人々に「情緒的に」理解させ、ナチ時代の過去に対する人々の意識を大きく変えた。また、『ホロコースト』は映画の中にシンティ・ロマの迫害を描き出すことで、シンティ・ロマの迫害をドイツの人々に意識させる影響も及ぼした。
1981年8月、連邦補償法の要件を満たすことができず補償を全く受けていない非ユダヤ人の被迫害者を対象として、連邦政府は1億マルクの資金を拠出する「非ユダヤ系被迫害者特例基金」を設置した。…しかし、「非ユダヤ系被迫害者特例基金」は、「ユダヤ系被迫害者特例基金」と比べると、補償の適用を受けにくい制度になっていた。
「過去の克服」に積極的な緑の党は、1983年の連邦議会進出ともに、これまで一般の人々の意識に上らなかった様々な「忘れられた犠牲者」に注目し、これを戦後世代が解決すべき人権問題のひとつに位置づけた。…その結果、反社会的分子とされた人々や安楽死の被害者、同性愛者の人々を対象とした「一般戦争結果法の枠内における苛酷救済給付のための指針」が政府より出されることとなった。この「忘れられた犠牲者」として、シンティ・ロマも救済を受けることとなった。…シンティ・ロマ自身の要求活動もさらに加速した。…しかし、シンティ・ロマへの補償は必ずしもスムーズに進まなかった。…補償当局を中心とした「押しとどめるカ」は未だに根強く、補償の実施はなかなか進まなかった。

ドイツの「過去の克服」のあり方を理想化して論じるには、それを「押しとどめる力」が根強く、反対にドイツの「過去の克服」のあり方を矮小化して論じるには、それを「押し進める力」やそれに有利に作用した「外的要因」は無視し得ないのである。こうした二面性を持つシンティ・ロマの戦後補償は、確かにドイツ「過去の克服」の一つの側面であり、同じく過去への取り組みを求められる我々に重要な事例として現れるのである。

宮本和弥『シンティ・ロマの戦後補償─三つの要因の視点から─』
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/8287/1/g_housei_p095.pdf

●ロマ自身のホロコーストへの現在意識
ロマ人権回復に、先行しているホロコーストに重ね合わせるのが有効だとするワタクシの意見に、hokusyuさんは区別するのが歴史専門家の定説とまで仰り、差別自体も「教科書に載ってる」ことや当方でPDFを紹介している宮本和弥の『シンティ・ロマの戦後補償』論文をひいて「保障している」と、ロマ人権回復には、制度的に十全されているかのような官僚的答弁をなされているが、国連や欧州評議会ではそれは不完全なものと、公式的に表明されている。*4
2006年1月、ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会とヨーロッパにおける国内スィンティ・ロマ組織は、仏・ストラスブール欧州議会にて、同評議会のバックアップを受けた『ロマとスィンティに対するホロコーストと現代ヨーロッパにおける人種主義』展示会がスタートした。これは以降EU加盟国で順次移動して開催される。人種主義と外国人排斥に関するヨーロッパ・モニタリング・ センターが2005年11月23日にブリュッセルで出した報告書によると、ロマとスィンティはほかの集団にもないほど日常的に差別を受けているということを受けて、その改善の為に開催された。彼らはその差別の原因をホロコーストの不理解にあるという。

ロマとスィンティに対する暴力と、ホロコーストの否定とには、直接的な関連性がある。このことは、ロマとスィンティが右翼の過激派による暴行・襲撃の格好のターゲットとなっている事実を際立たせる。新ナチ主義者が残忍な殺人を犯すのに躊躇をしていないことは、ぞっとするような事実や映像で実証されている。反ユダヤ主義の危険は、国際政治課題において高い優先度が与えられているのに対し、ロマとスィンティは、ホロコーストの歴史的経験にもかかわらず、これまでかなりの期間、然るべき政治の舞台で注目を受けてこなかった。
これを背景として、現在の衝突状況の解消を促進するために、展示は過去のより正しい認識を伝えることを目指している。ロマとスィンティに対するホロコースト、およびそのヨーロッパでの状況に焦点をあわせ、想像を絶する人道に対する罪をあらわにすることを主な目的としている。ユダヤ人と同様に、ロマとスィンティは国家社会主義の人種主義的イデオロギーの名のもとに、取り押さえられ、公民権を奪われ、ゲットーに閉じ込められ、そして最終的には絶滅キャンプへと強制移送された。国家社会主義者は人間に対する敬意もなく、幼児や高齢者に対しても同様の非人間的扱いをした。国家社会主義者はロマとスィンティまたはユダヤ人に生まれたというだけで、これらの人びとの集団的生存権を否定した。

反差別国際運動(IMADR)
http://www.imadr.org/japan/minority/roma/post/

また、2007年にニューヨークで同展が開催された際、彼らは潘基文国連事務総長へ、ヨーロッパおよび世界各地の同マイノリティの人権を守る取り組みを強化するよう嘆願書を提出した。

ロマとスィンティは、何世紀にもわたり、すべてのヨーロッパ諸国および世界各地でそれぞれの国の国民として生活を営んできた。われわれは、ユダヤ人と同様、「人種的に劣等」としてナチスの占領地で迫害と殺戮の標的となり、約50万人の命が奪われた。現在でも、毎日のように人種主義的攻撃にさらされ、またゲットーのような居住地区へ強制的に移住させられることがしばしば起きている。子どもたちは、マジョリティの学校の基準を大きく下回るゲットーの特別学校などで学ばされ、将来平等な権利を手にする可能性を奪われている。多くのロマとスィンティが電気、水道、下水といった基本的な生活基盤を利用できない現状は、アジア、ラテンアメリカのスラムで生活をしている何百万人の状態に匹敵し、人権擁護を国の基盤とするヨーロッパ諸国にとっては恥ずべきスキャンダルである。
国連は、人種差別撤廃条約、マイノリティ権利宣言などの重要な条約ならびに決議、その履行を促す諸機関によって、ロマとスィンティを含むマイノリティの権利の保護および促進にむけた基本的な環境の整備などを行なってきた。しかしながら、多くの地域で、ロマとスィンティの人権保護・支援プログラムは不十分なものとなっている。ロマとスィンティに関する問題を専門的に扱う国連特別代表には、同マイノリティを代表する政治家と緊密に協力し、具体的な解決策を練り上げることが望まれる。
人種差別からの保護策としては、差別に動機付けられた犯罪の効率的取り締まり・厳罰化、インターネットによる差別扇動の規制などが求められる。また、ロマとスィンティが平等な機会を得られるための重要な取り組みとして、将来的にゲットーの撤廃を視野に入れた住宅の整備、教育の場における差別撤廃、教育・雇用プログラムの構築などが挙げられる。さらに、ロマとスィンティに対する人種差別が根強く残っている原因の1つに、国家社会主義者が形成した「根無し草・放浪者」といった否定的な固定観念がある。国際機関がこのような固定観念を強めるような表現を行なわないこと、多くの国々におけるロマとスィンティの歴史的・文化的貢献を、包括的な教育政策を通じて各国のマジョリティ社会に伝えること、ロマとスィンティを一般化し、犯罪者扱いするメディアの表現を法的に規制する措置が必要である。

潘基文国連事務総長への嘆願書』
ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会ならびにヨーロッパにおける国内スィンティ・ロマ組織

http://www.imadr.org/japan/minority/roma/2007130/

ドイツでも極右主義者たちはマイノリティーに対して憎悪に満ちたプロパガンダを広めるため、ますますインターネットを利用している。アメリ国務省のデータによれば、ナチスの思想を堂々と掲載している「チューレ・ホームページ」のような人種差別的なホームページが今日のドイツに約800 あると言われている。ここではスィンティとロマは、窃盗や売春や麻薬の密売によってのみ生活の糧を得ている「さすらいの民」の「ツィゴイナー集団」と見なされており、それはナチスがスィンティ・ロマやユダヤ人たちの追放と絶滅を正当化するために使ってきた人種主義的スローガンと同じである。そしてホロコーストはなかったものとされ、民族虐殺の責任者たちに対してあからさまに味方につく内容が書かれている。これに対して中央委員会は責任者を司法の手によって追及できるようにするため、インターネットのプロバイダに対して全てのホームページの作者を記録するよう要求している。
私たちにとって重要な前進として期待されるのは、EUが2000年に平等化指令の中で承認した包括的な反差別法をドイツが採択することである。この中でEUはそれぞれの国のマイノリティーに属す人々が全ての生活領域において差別されることのないように加盟国に指示しており、加えて各加盟国に条項の速やかな実現のための専門的部署の創設も求めている。これによって差別の犠牲者はより訴訟を起こしやすくなり、また金銭的補償の権利を有するようにもなる。

『ドイツおよびヨーロッパにおけるスィンティ・ロマに対するマイノリティ保護』
ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会副委員長 ジャック・デルフェルド

http://blhrri.org/info/koza/koza_0051.htm

hokusyuさんはホロコーストユダヤの唯一性を掲げる理由に、「「意図」に着目するほうが「構造」に着目するよりも唯一無二性を強調しそうなものだが、じっさいは逆」と仰る。その際に形どられる「構造」がどんなに「公平性」に気を付けていても、主観が交じるからということなのであろう。しかしそれでは、「学問(研究史的な蓄積)」「歴史学」といったものの否定でしかない。個々がてんでばらばらなとこから繰り出される「意図」だけ羅列・ピックアップしても、歴史(分析・把握・理解)にはならない。そうはいいながらも、hokusyuさんは自説を「歴史家の定説」と、どの派の歴史家標準か示さずに普遍であるかのように権威づけ根拠を行った。無論フィンケルシュタインはまさに「意図」だらけの仕掛け人=運動家である。「意図」だらけのアクターが多数になり複雑に絡み合った時、それを整理するのが「構造」であろう。そして歴史なんてものは、大抵複数の関係アクターがいるのである。


●米国ホロコースト記念碑問題
id:hizzz:20090214#p6でサイードチョムスキーの言説の変遷をさらっているが、中東情勢の変遷で彼らユダヤ系の言説もまたその時々によって変更を余儀なくされている。だから、文献を引用するにも、どの時点での意見なのかが状況との関連性が、現代に続く問題には非常に重要となる。
フィンケルシュタイン本を介してとりあげられていた、エリー・ウィーゼルらの態度についての記述をいくつか書く。1979年カーター大統領によってホロコースト記念会議が設立されたが、ニュールンベルク裁判のときと同様に、誰ひとりとしてロマは参画されなかった。ホロコーストをエリー・ウィーゼルは「本質的にユダヤ人の事件」「ユダヤ人だけが全面的絶滅の運命にさらされた」と主張した。シーモア・シーゲル前議長は『ワシントンポスト』紙で、ジプシーがはっきり区別される民族集団を構成されるかどうか疑問をつけて、ロマ参画行動をばかばかしいと切って捨てた。その後も度重なる無視がつづいたが、国際ロマ組織やアメリカ・ロマ会議*5などの運動が実って、1986年には参画できそうな予定になっていた。ところが、大統領府任命局がロマ排除を通告し、ロマ運動関係者を唖然とさせる。その後、国際ロマ連盟代表が総会に招待され、1987年2月には『その他の犠牲者』のための会議が開催されることなった。それについてロマ人であり言語学者のイアン・ハンコックはいう「このような扱いを歓迎しなかった。─ホロコーストはただひとつである。「焼却炉の中身はわれわれの灰も混じっている」、それをいま、なぜ別々に追悼しなければならないのか?」と。

ロマとシンティがヒトラーによる最初の犠牲者だったという事実は、徐々に広く知られるようになっている。それでも、アウシュビッツで自分の父親がジプシーのカポ(ナチスが任命した囚人班長)に殴られるのをなす術もなく見守った経験をもつエリー・ウィーゼルは、ロマ追悼デーにおける演説に際してさえ、こう強調しなければならないと考えた─それにもかかわらずユダヤ人は第三帝国の「至高の犠牲者」だったと。その翌月、ノーベル平和賞を受賞したときの記念スピーチでも、彼はナチスによるユダヤ人の虐殺は「特別」であることを強調した。しかし9月16日の式典では、ウィーゼル教授は次のように述べた。
「告白するが、私はロマニのわが友人たちにたいしていくらかの罪の意識を感じている。皆さんの苦悶の声を聞くために十分なことをやってこなかったのだ。皆さんの悲しみの声をほかの人たちの聞かせるために十分なことをやってこなかった。これからは、皆さんの声をもっとよく聞くためにできるかぎりのことをするつもりだと約束したい。」

イアン・ハンコック『ジプシー差別の歴史と構造―パーリア・シンドローム

フィンケルシュタイン本は、政治シオニズム思想とがっちり結びついたナチ犯罪解釈が席捲してることで、公然とロマ排除が起こっている最中に、斥力的に書かれたものである。彼と同じくアメリカ批判が政治的魂胆として念頭にあるチョムスキーの言説も、その時の政治状況・立位置であまりにそれに筆舌を尽くしまくる為に、パレスチナ問題をテーマとしているのに、しばしば肝心のパレスチナが霞んでしまう程である。また彼らのアメリカ批判は、反米主義や反資本主義という運動左派にとっては、胸をすく願ったりの激しく強い言説であるので、とかくそれをそのまま受け取ってオウム状態になってしまう向きを見かけるが、それでは全体像が歪んでしまうということがあるので*6、注意が必要だ。

ホロコーストで「ユダヤ唯一性」を主張する弊害
ホロコースト解釈にとっては、引用したウィーゼルの最初の主張のようなホロコースト本質主義ともいえる排他的態度を増強し、ナチ人種殲滅政策=ホロコーストユダヤで、神格絶対化してしまうことである。そしてドイツ-ユダヤ/イスラエル間で完結してしまい、ホロコーストに関連する問題、その関連性・関係性の過小評価につながることである。とまれhokusyuさんが関心をおもちの「ドイツ現代史」には、このような視点がないということなのであろう。統一後ホロコーストアイデンティティの政策的定着あたりで最新となされている、2000年前後で纏められたドイツ現代史中心で限定的に定義してしまえば、そのようなことになるのであろうが…。マイノリティ問題の側面からすれば、例えば国内マジョリティ中心の政経・外交中心の現代史通史本では、殊更にアイヌ民族従軍慰安婦問題などのその差別の通史が把握できずらいのと一緒ではある。だからといって、それらが戦争犯罪/マイノリティ問題として現在進行形で尾を引いていることを加味しないのでは、あまりにも一面観すぎる現代史把握となる。例えば「日本民族」や「満州帝国」の唯一無二性*7などという語り口は、まずもって歴史修正主義者さんたちの主張でポピュラーなものであろう。戦争犯罪でいえば、「ノーモア・ヒロシマ」で世界的に通用している原爆虐殺を、「ヒロシマの唯一無二性」などといってしまったら、長崎は憤懣やるかたないであろう。長崎にとって原爆被害は長崎の唯一無二性を主張するものではなく、常にマジョリティたる広島と同等の「広島・長崎」の被害なのである。
そのように、ロマにとっては、引用した国連嘆願書&移動展示会やイアン・ハンコックが述べているとおり、「区別するな」「ユダヤと同等に扱え」である。
hokusyuさんは、コメント応答の中で、ユダヤの唯一性・ロマの唯一性をそれぞれ区別して追及すればよいという趣旨を述べているが、引用したとおり、ロマはそれでは納得しない。何故か?それは引用したアムネスティ文で触れられているとおり、ロマはロマとして区別して「分離政策」が、ヨーロッパの幾つかの国で実行されていたからである。その区別・分離の中身は、国連が認識している通り「差別」でしかなかったのである*8。そんな歴史的経過があるからこそ、ロマに対して、ホロコースト・マジョリティたるユダヤホロコーストを唯一性と言挙して、「ロマはロマで」という言葉はマイノリティにとって脅威となる。
また、パレスチナにとっても「唯一性」や「区別・分離」という言葉の実際が、今年初頭のガザ軍事進攻になるのである。そんな意味で使ったのではないとしても、「差別」というものは差別される方(=この場合ロマ)が、そうした一方的立場の場所から発せられる差異に、よりセンシティヴなのである。無論このことは、自戒を込めて確認することなのだけど。

ホロコースト研究が「唯一性の概念」を受容した背景には、二つの根拠がある。ひとつは、これまでのホロコースト研究において、「唯一性の概念」を学問の研究対象として批判する営みが生じなかった、ということである。「唯一性の概念」をめぐる議論は、ホロコーストの解釈に関する合意形成の困難さを露呈していながら、実のところそれは構造主義者、意図主義者といった人びとの間でみられた限定的な議論の断片に過ぎなかった。彼らは「唯一性の概念」を自らの立場をより有利にするために不可欠な「道具」として利用することにより、互いにその正当性を競い合った。もうひとつの理由は、「唯一性の概念」に疑問を呈する姿勢がありながら、それをどう研究に反映させていくべきかという研究者の葛藤がホロコースト研究の多元化を阻んだ、ということである。
いわゆる第二世代と呼ばれるホロコーストを直接体験していない研究者たちは、ドイツの責任問題を曖昧にしてきた第一世代の研究者たちを厳しく批判した。それだけではなく、第二世代の研究者たちは研究対象としてその意義が見出されることが少なかった非ユダヤ人犠牲者に対する配慮をも含んだ新たな研究構図を描き出すことにも意欲的であった。彼らの研究は個々の犠牲者集団の合意形成を目指していた。というのも、各々の犠牲者の記憶を一つの媒体として束ねる術を模索していくにつれ、「忘れられた犠牲者」と呼ばれる人びとの主張は、ホロコースト研究の空白を埋める重要な要素であることが浮き彫りとなっていたのである。
しかし残念ながら、第二世代による一連の試みは「忘れられた犠牲者」の存在にわずかな光を当てることができたに過ぎなかった。それどころか、彼らをユダヤ人と同等の存在として、ホロコーストの議論の場に引き入れることさえできなかった。というのも、「忘れられた犠牲者」に関する研究は当時はじまったばかりであり、ユダヤ人問題に匹敵するほどの堅固な学術的成果をもたらすことが困難だったのである。

ホロコースト評議会に代表されるような、「ユダヤ人の唯一性」に固執する人びとにとって、ロマ民族は依然として単なる「ツィゴイナー」に過ぎなかった。そればかりか、ロマ民族が比率だけで考えるとほぼユダヤ人に匹敵する割合で殺害され、ユダヤ人よりも厳しい基準で出自が調査された事実と、彼らを「人種的理由」による犠牲者として認めることは心理的に両立しがたい問題であった。ロマ民族ユダヤ人との相関関係を認めることは、ホロコーストの広義的解釈を許容し、それまでの研究構図を瓦解させる可能性をも秘めていた。

ロマ民族の議論の中では、自らの「犠牲者としての認知」と、ユダヤ人と同じ「人種的理由」による被迫害者であったことが分かちがたく結びついており、その延長線上でマイノリティとしての地位確立を要求していたことである。すなわちその真意は、ロマ民族がマイノリティであったがゆえにナチズムの犠牲となったことを世論に訴えたかったというよりはむしろ、ユダヤ人がその存在ゆえに犠牲となったのと同様、彼らもただロマ民族であったがゆえに絶滅政策の対象となったという実態が「公共の記憶」の中に位置づけられることを望んだのである。

1997年、ドイツ政府がロマ民族を国内に居住するマイノリティとして公認したのである。しかし政府の公認がナチズムの犠牲者として然るべき位置を確保する重要な転機になったとは言えず、今日まで犠牲者の位置づけをめぐる議論はその着地点が見えないままとなっている。

千葉美千子『ホロコースト研究における 「唯一性の概念」をめぐる考察−「記憶の所有権争い」の分析を中心に−』
http://www.hokudai.ac.jp/imcts/imc-j/imc-j-5/j5chiba.pdf

*1:無論歴史上の事件についてなんらかの特異性があるから固有名詞がついている。その背景を含めてた特異性が「唯一無二性」であることには違いはない。しかし、ここで問題にしていることはそれではない。

*2:現在イスラエル政府の国民基準は、母親がユダヤ信仰にあった者となっており、それが拡大解釈されて、かって祖先にユダヤ信仰があった者として、エチオピアなど多数の民族を受け入れて、実質的に多民族となっている現状は、id:hizzz:20090214で書いた通りである。建国の時に既に「バイナショナリズム」を主張する文化シオニズムと厳格な一民族国家を主張する政治シオニズムとの対立があったが、それは政治シオニズムの勝利することとなる。

*3:有能またはドイツに同化できる優秀な者と、そうでない者とを選別した。

*4:西尾幹二は、ドイツ国内の約25万人のジプシーは2%のみ生き残り戦後5千人になりその補償は1億マルクと、日本とドイツの戦犯や保障を問う文脈で度々引きあいとしてるが、これは間違い。

*5:米国にいるロマは、戦中戦後のナチ被害者のほかには、18世紀前後に奴隷として人身売買されたか、ヨーロッパ人の主人と共にした従者奴隷である。

*6:運動言説は、時には全体像を歪めても自説がクローズアップされれば目的は達成するといった「仕掛け」パフォーマンスを欲望肯定してるようなのだが。。。

*7:五族共和の汎アジアと反共政策の汎イスラームが合体して軍部が妄想拡大した、ユーラシア主義=ツラニズム(ツラン民族圏)のこと。日ユ同祖論などの同祖論で最大のもの。

*8:例えば、「身障者特別学級」問題のような構図である。マジョリティ&政策としては、健常者以上に配慮するために区別しした学級編制を組んだのだから、(履修内容もレベルの低いものになっている)そこで学ぶほうが身障者に「優しい」だろう。ところが、その「区別」は区別される側-マイノリティたる身障者にとっては、自身の障害とは健常者と同等の固有事情の一つでしかなく、それを根拠に区別されることは学習差別でしかないのである。