サブカル日本

id:hizzz:20030927 で触れたとおり、エスタブリッシュに対する都市ブルジョアとしての慎太郎はいる。が、竹内のいうブルデュー的な厳密な階級文化無き「貧しさ」は、欧米的教養主義が正統であるとするというスタンス上で成立するものであり、そんな階級思想に準拠する必要なければ、それはまたもや、ひとつのスタンス=説に戻されることになる。
慎太郎と違って、エスタブリッシュ中のエスタブリッシュ、だがその下ネタべらんめぇ口調が将来をうかがう上で危惧され「生まれはよくても育ちが悪い」@文春と揶揄される麻生太郎が、漫画で語る、語る。。。

「60年代のコミックっていうのは、あれですよ、安保の頃ですからね。反体制漫画が主力だったと思いますね。『忍者武芸帳』だとか、『サスケ』だとか。それが70年の安保が終わったとたんに、『巨人の星』とか、『字宙戦艦ヤマト』とか、体制に体張っちゃうっていうような感じになって。80年代くらいから、こう、組織に属してでも、おれは俺っていう、例えばジョージ秋山さんの『浮浪雲』とか、「マガジン」の「パッテリー」とか。90年代に入って、わかんなくなったなって思ってたけど、だいぶ後半になって、ハッと気がついた。オカルトですよ。『ジョジョの奇妙な冒険』とか『犬夜叉』とか、なんとなく超能力だとか多いでしょ。で、出てくるのがオウム真理教。21世紀になって、これからどうなるのかなと思って見てますけど。主人公に強い奴が出てきましたね。「チャンピオン」の『バキ』とか。イラクとかイランとか、ああいったことがあって、もう一回、やっぱ、男は強くなきゃ駄目とかって話になるのかな。 」

ポケモン。『ポケットモンスター』。あのいちばんおもしろいところって、あれ、しゃべんないんですよ。ポケットモンスター自体はしゃべんない。だけど、ちゃんと意志が疎通するわけですよ。これはね、完全に日本のカルチャーなんですよ。「ピカッチュウ」と「ピカッピカッチュウ」、このふたつで全部通じる世界でしょ。アメリカ人にとっちゃあ、全く考えられない世界ですよ。その影響するところ、ものすごく大きいと思うけどね。 」

そりゃ細かいコトをいえば「漫画」を「コミック」って言っちゃう語感はどーよとか、ポケモン的暗黙ってETライクなニューエイジ(←インドやタオやゼンという70年代の憧れから来たんだけど)な親でそのベースが出来てるんぢゃなかとか…
ま、日本のエスタブリッシュたってこの程度なのよと揶揄すこたぁ簡単なんだけど、いっつも背景=根拠=正当性を必要としてるが故にアクロバットを重ね軽口を軽口とできない慎太郎(しかし釈明要求というカウンターに立脚するプレゼンス)に比べて、 太郎はもー、下品であろーが、なんであろーが、へーきのへーざ。それもこれも自らの「座標軸」が巌のように自明なゆえ慎太郎のように観測球を出して周囲を計り風を呼び起こす必要がナイ為か。しかしそれゆえ、それもまた純粋にサブカルにハマることなく楽しめ、かつ中々に微妙な世間を計るバランス感覚。インタビューの中で揺らがない故土井たか子は人気があると明快に言及している。(いやしかし、おたか勢はコイツにダケは言われたくなかっただろうが)サブ(アンチ)を把握しうる他者はメイン、その逆もしかり、権力と反権力の双子。とまれ、そうした構図の上に権力もまた成り立ってるんだな〜と、おもった次第。
しかし、ヲヤヂコンシャスはどっちにもついて廻る、と。