自分失くし

前回ネタで「自己承認欲求がない人間なんて信じられませんっ」とid:o-tsukaさんから御意見を頂いた。id:hizzz:20040606#c うん。「ちっとも拗れてないストレートな」見方はそうであろう。いずれにせよ、自己承認は根源的欲求であるとマズローもいってるし。
あ、さて、自己承認要求に基づく「自分さがし」の次の段階として、みうらじゅんは、仏像巡りを「自分失くしの旅」としている。

もはや探している場合ではない。探し続けていると煩悩が増えるから、これからは失くしていく時期に入った。46歳になってね。

みうらじゅん ダビンチ6月号
http://www.recruit.co.jp/cgi-bin/rperl5.pl/magazine/look_buy/book_sel.html?brand_cd=0015&gmn_id=99

中高年になると、こゆカタチに自己承認欲求はなるのだよなん。自意識=煩悩=無駄って気付く年齢は個人差があるだろうけど、しかしそれも自意識のカタマリって奴をまずダンゴ構築した後ぢゃないと、失くそうにも失くす中身がないという。。。
しかしコレも「無垢の美学」id:hizzz:20040524なのだなぁ。


※追補
上記に関してハラさん(Not a Serious Wound)からの指摘。
・「自分失くし」の伝統的方法といえば「出家」
・「人体改造」を扱った創作物は、ほぼ「自分失くし」の喜びを主題
伝統的方法論は、以前仏教美術は「おたく」テイストそのものだってカキコしたけど、上記のみうらじゅんに拠ると、「即身仏は最終フィギュア。本当の人間がフィギュアになるんだから海洋堂どころじゃない」そうな。
id:izuminoさんが、トランスパーソナル心理学をあげて「世界と自分を統合」なんていう考え方も自分失くしといえば自分失くしと。「人体改造」でいえば、エコやニューエイジ思想ってのもそうだなぁ。