人生には色んな優先順位がある。なにはともあれ生きてく為にしなければならないことや、した方がいいことの他にも、自分的にはひどくプライオリティのひくい事であっても、状況的に対処しなくちゃならないことだってたんとある。…そんなこんなで、時間はどんどんどんどん失われていく。
「暇がない」っていうのは、あるコトに対する「言い訳」としてありがちな言葉。ワタクシも気がゆるむと、ついそんな言葉を口にしてしまう。これはもうすこしきちんというと「忙しくて(それをする)暇がない」ってことだ。んでも、これは、その言い方を理由づけする人にとって、大抵は正確な言い方ではない。だって、「暇」=時間は自分で見つけるワークフローのひとつだからだ。
「忙しくて(それをする)暇がない」は、正確にいえば「(それをする)暇をみつくろう気持ちが自分にない」ってことが、大抵の本音だったりするやね。だからといって、その代わりに大層なコトをしてる訳ぢゃあないのが、人生の常。まー、そうとでもいって、「未決のコト」を自分で自分を納得しようとしてるのであろう。だからといって、それはルーズなことではない。とかく人生には、いますぐ白黒決着つけず、そういったパターン化したスルーの仕方で、物事を「とりあえず」グレーゾーン化して機会をつないどくって方法論も、ひとつの知恵ではある。なんたって「やる」んなら「どうやるか」って手立てをひとつ決めなければ、実行すら出来ないからね。