米国での「性奴隷(sex slave)」の歴史的経緯

地方議員、学識経験者らでつくる「慰安婦問題の歴史的真実を求める会」とやらが、「慰安婦問題」を先月可決した米下院外交委員会に抗議書を14日に送ったそーな。主旨は 「性奴隷などという存在は全くなかった」。なんでも、「慰安婦は性奴隷ではなく売春婦だ」ということらしい。多少でも(たとえ紙くずと化した軍票でも)金銭対価授受があったのだから取引きは成立しており商行為で、従って一方的に搾取した「奴隷」状態ではないというのが、多分この会の皆様方の言い分なんであろう。
さてはて、それでは、かの地米国ではこの「性奴隷(sex slave)」という言葉、いったいいかなる歴史を背負っているのか、どういう意味で使っているのかということが見えてなければ、このハナシ、齟齬はつきない。
無論「奴隷」といえば、悪名高き黒人奴隷制度に端を発する。その奴隷制が廃止された後、「(西部)フロンティア」めざして各国から移民がやってくる。1820年に初めて渡米した中国人は、年を追うごとに増え、1851年、1年間で2万人以上渡米し、中国系人口は25,000人を突破する。が、翌年又2万人以上が渡米し激増する。そしてその中に「売春婦」として扱われる女性達がいた。無論、渡米日本人も中国人程ではないにせよ増加していた。

19世紀後半に1万人以上の中国人女性が、売春婦としてほぼ強制的にアメリカに連れてこられた。中国人売春婦は、すぐに手に入り、口がきけない存在として、プロレタリアート化したセクシャリティを体現していた。このイメージは、西洋のオリエンタリズムの長い伝統のなかで作られてきたエキゾチックな女性像そのものであった。人種の要素が入ってなくても、またこの女性たちが強いられて売春をしていたとしても、この中国人女性のセクシュアリティのイメージは、社会秩序に従い純潔と貞淑の道徳の守護者として、決して激情を顔に浮かべることなく「真の女性らしさ」を保つ女性のイメージを浸食するものとされた。

ロバート・G・リー『オリエンタルズ―大衆文化のなかのアジア系アメリカ人』

それまでの荒くれ男達の西部開拓からビクトリア朝の「貞淑と道徳秩序」=家庭崇拝を規範とする白人中産階級も進出しだし、中国人初めとしたアジア系売春婦は疾病や社会的腐敗の温床として新聞&雑誌にセンセーショナルに書きたてられ、政治問題化し排華運動につながった*1
カリフォルニア州が1858年に中国/モンゴル移民阻止の法律を制定した。しかし、1865年大陸横断鉄道建設の為に大量の中国人労働者(ピーク時1万人)が雇われるが、1869年には鉄道は完成する。1870年には中国/日本/モンゴルからの売春婦の輸入に阻止する法律を施行した。さらに合衆国は1875年、中国/日本/モンゴル系の売春婦、犯人、契約労働者の入国を禁止したページ法が施行された。ページ法は渡米を希望する女性全員に屈辱的な設問への回答を義務づけた。しかし実際の中国人女性の「不法取引」は、両国の入国管理官によって支えられていた。
Anti-Trafficking and the Production of the Nation:Female Migrants, Prostitution, and State Control
http://www.iswface.org/Trafficking_essay.html

この時の中国人女性の立場を「性奴隷(sex slave)」と表している英文は多い。「The Page Law, sex slave, 1875」でのGoogle検索結果は約535,000件になる。ビクトリア・サンガーが産児制限を唱えはじめるのは1914年になるが、「白人」女性の地位向上の裏で社会運動家にとってもの言わぬ(無論それは言葉の壁もあって「言えぬ」でもあるのだが)中国人女性イメージは「性奴隷(sex slave)」に結びついたのである。女性たちは中には渡米の自己意志を持って来たり全て無給売春をしていた訳ではないが、両国の幾重にも重なった周囲により性的に支配された不本意状態におとしこめられていた。これが、「性奴隷(sex slave)」の語源で、おおよその意味するところではないだろうか。*2
「真実を求める会」によると、「慰安婦決議」をけしかけている黒幕とやらは、中国系なそうな。で、あるならば、尚更自分達祖先の移民史=米国史を踏まえて、日本軍慰安婦なるものが「性奴隷(sex slave)」であったとの帰結に至るのは、すこぶる常識的ではないだろうか。

*1:とはいえ、近年の調査によれば、実際の中国人売春婦の数はサンフランシスコでは900人程

*2:てゆーか、フェミ陣営の皆様方はこの辺のことなんで書こうとしないんだろう???