盗撮事件

最近、盗撮が多発してるよーである。その内マスコミのネタになるのは、公務員や教職などの所謂「お堅い職業」の方々が盗撮をした事件ばかりなんだけど。盗撮行為そのものは、痴漢というテリトリーで、なんだかんだいってもドスケベな奴ってことで、特に日常お高くとまっている「お堅い職業」のお歴々をおとしこんで溜飲をさげる格好のケースだからこそ、ニュースバリューともなる。
さて、それでは、実際、盗撮という習慣的な性僻は、はたして、単なる性的ファンタジー欲求を満たす為だけの行為なんだろうか?痴漢えん罪ネットの元代表が、起訴事実を認めたりしているケースなど、ホントに彼は純粋(といういいかたもナンナンであるが)に性的欲望のみでそのような行為をしたんだろうか?どうにも、単なるドスケベぢゃ、片付けられないような気がする。それは、日常主張せねばならぬ彼の立場をまったく否定する行為だからだ。スケベ行為そのものに自己のプライオリティを置く者はいくらでもいる。しかし彼は、痴漢えん罪ネットを組織し、あくまでも自分の正当性を声高に訴えるということを社会的プライオリティにしていたのである。痴漢えん罪事件の発端となった先の電車での痴漢行為の真偽は一切考慮にいれないが、かかる盗撮行為が発覚したならば、どのような社会的制裁を受けるかは、先の事件で重々判っていたはずである。だのに、何故?痴漢えん罪ネット支持の人々もそこを多いに悩むであろう。
そこには、先のニュースのこちら側にいて高台から引きずりおろして溜飲を下げる我々下々の下賎な欲求と同じく、堕落する快感というものがあるんでないかな。通常、いわゆるポリティカル・コレクト(PC)的立場を主張する者は、そのコレクトした部分以外でも、主張する正当性や高台と引き換えに、「聖人」的清廉潔白さを求められ監視される。いついかなるときも正しい自分であり続けるというのは、たいへん窮屈なものである。元々、好みとしての性的映像嗜好はあったであろうが、それが一線を越えて盗撮を始めだし常習的になるに従って、本来の目的(性的映像を見て欲情)が、行為すること(盗撮行為することに快感を得る)そのものに逆転したのではないか。
それは、一線という壁をいったりきたりする自分の発見だったのかも。つまり衆人監視状態でぴっちり制約された日常から自由に逸脱できるツールが、盗撮だったのではないだろうか。「PCなイケテル自分」から「犯罪者な自分」の幅のドコにでもいけるという世界=自己存在自由を手にいれた、全能感である。それは、性犯罪に憑依した、堕落の快感なんではないかな。
そしてそんなのは、性犯罪にまで至らなくても、知性のセットで言動されるエロ行為に多い。ドスケベなふるまいをしまくっていても、ホントに対象になるおネエちゃんそのものが大好きな連中はそんなにはいない。そんなエロの対象となってる多くは、決して「女性エロス」を欲望しているのではなく、女性を隠れみのにした、いけてるアタシからいけないアタシへの堕落のエロスへの欲情なのではないかな。そしてそれを行ったり来たり出来るコントロール可能な自分という世界の支配感に酔いしれるツールとしてのスケベなんであろうな。したから、そんな奴にダシとされるおネエちゃんは、当然のごとくいつもオミソ(人格無視)なのであるけどね。
盗撮
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/sneak_shot/