どうにも止まらない

石原慎太郎が、また爆走。都議会での壇上答弁での「爆弾を仕掛けられて当たり前」発言は、「バァカなメディア」を釣る為に意図したもんだと強弁しまくり。が、しかし同時にくっちゃべった拉致された「曽我母は殺された」発言ダケは、配慮不足であると後に陳謝。はがー。亀井応援でミソつけまくそで、相当あせってるのか、ナンかヤキが回ってないか?喋れば喋る程、釣られてるのは、慎太郎、アンタの方よ。しかし、解せないのは、指摘されてる「バァカなメディア」の対応。殺された発言陳謝ということは映像も含め結構報道されてるのに、「爆弾当たり前は計算ずく」は殆ど出てこないという気の使い様、いったいドコに「配慮」してるんだか。ああ、一族で一番祐次郎似であると言われている期待の新人、宗男似の3男の政治理念?は「愛」だとか…

都市ブルジョア文化の中に育った石原慎太郎にとって、知識人文化である教養主義の奥底にある刻苦勉励的心性は相いれない。にもかかわらず教養主義は学問とか知識という象徴的暴力として威迫してくる。しかし、日本の教養主義は必ずしもピエール・ブルデューがフランス社会を照準に描くブルジョア階級の教養=ハイカルチャーの象徴的暴力ではない。教養主義ハイカルチャーの模造や紛い物、これこそが石原の教養主義に対する生理的嫌悪の背後にある心理と論理ではないかったろうか。…上昇型ブルジョアだからこそ、ブルジョア的でないものに敏感であり、また差別のまなざしもきびしい。…ブルデューは、下層中流階級と地方出身者というみずからの来歴からフランス型教養の華麗さが才能や能力そのものよりも、ブルジョア文化と密通していることを暴いたが、石原は都市ブルジョア階層というみずからの来歴から、日本型教養はブルジョア文化と不連続であるがゆえの貧しさを暴いたといえる。
もがけばもがく程に泥にハマっていくこの余裕なきイタさは、ぱっつんぱっつんの成り上がりモンの悲鳴というところ、か。

「爆弾当たり前」発言は計算ずく…都議会で石原知事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030925-00000313-yom-soci