狂気

「死にたい」だの「殺したい」と想うこと、これを「狂気」と称しているのだけれど、どーかねぇ。勝手に自分で予め規定したトコに逃げこんでるダケで、別に狂気でもなんでもないでしょう。一生懸命、狂気を学習しようとしてるようで。あくまでもセオリーに添った優等生的「狂気」の解釈行動。ただ、その規定が社会的には「正常」ではない。反社会的なだけで。そしたらこれは、ただの「反抗」「反動」ってものでしかない。尾崎豊位からこっち、「反抗」「反動」ってどーにもダサくなったから、「狂気」って言葉かえしただけで。
いま「正常」でいることこそ最も鈍感で愚鈍の証拠。感覚が鋭敏だからこそイケてるアタシ。イキナリ「狂気」はアレゲだから、カジュアルな狂気としての「不思議ちゃん」という手もあるけどねー。単なる怠惰をキドってしまった昔の「アンニュイ」みたいなモン。ハタから見てると、むしろ、「恥ずいっ。」って感覚もナイくらい他者に鈍感にしか思えないんだけど。
「狂気」でもなんでもないのに、狂人になれば絶対自己を獲得できるという狂人幻想だけ目いっぱいふくらんでいる。狂人=超能力=超人。そんな錯覚。狂人への方法論が、家族殺しと自殺。ショボっ。
確かに、一部の精神疾患で「レナードの朝」や「ビューティフル・マインド」のごとく超人的能力を発揮する人はいる。しかしそれは、一部の疾患のこれまた極一部である。実際の疾患者皆が皆、発病したら草間弥生になれる訳では決してない。
ドラッグ等のケミカルで疑似体感するようなトランスによるエクスタシー、目眩くビジョンを持てたとする幻想、夢。それはやはり幻想は幻想でしかなく、幻想ゆえに醒め、リアルな自分=思考の入り込むスキはない。そういう外部の力がないとシラフ=自力では獲得/最構成できないビジョンなんてのは、それは自己のもの=能力ではない。不自由な自分、依存そのものだな。だから睡眠時や妄想時に炸裂したビジョンそのままハイになってもってこられても、当然、他者の観賞=相対化に耐えうるものでもない。
他者を排除しといて「解れ」=ココに入れというほうが御無体。そういうこと全体がファンタジーといわれるコトなんだろう。目的と手段を取り違えても、こうしたトホホな結果しか出せないのである。そうしたひとに「心の闇」とか「狂気」とかいっても、よけい自作自演行為に舞い上がるだけなんだよね。