反他者欲望

「殺したい」「死にたい」というのは個人の思想信条の自由だ。「殺したいぐらい憎い」なんてのもそうで、ファンタジーの世界だ。ホラーやサスペンスや戦争やカルトを愛好するのもそうだ。刃物やモデルガンや薬を所持するのも、それの延長。
ただ、そうして想像する他者に侵食する欲望は、そうありたいの欲望の持ち主の自己管理責任が常に厳しく質されるという自己認識の上で許される、ハードな主体責任の上で始めて成り立つのである。
昨今は「死にたい」といえばナンでも許されるんだろーと、これこそ自己絶対化の印篭と思い込んぢゃって、それに夢中になるひとが多いようなんだけどね。しかし、「死んで花実が咲くじゃなし」@梶芽衣子キルビル、ラスト)この世は、いくら妄想こいても作用反作用の原則が現実なんであるよ。
「ゴシック・ロリータ」だから、どーだっていうんだよ。無軌道なお子茶魔でいたい〜ってことだろ。でーその欲望と自分の環境との折り合いがつけられないつーダケだろうが。まーもっとも世の「大人」と称する連中のほうがお子茶魔歴が長いぶんしたたかだから、それに勝てないつートホホなんだろうな。ほーら、この報道ぶりとか観察して、いい加減気づけよ。前回カキコした(id:hizzz:20031027)ように、ゴスロリっとかぶりっこすればする程に、自分達がまっとうな社会の一員であると承認して欲しい「大人」と称するお子茶魔連中のカモなんだよ。「心の闇」とかいって騒ぎ、そんな子供を救って矯正してやらなきゃって善意溢れる自分ってなんてピュア(はぁと)といーたい連中と、反他者でそんなキタナイ大人になんかなりたくナイ純な自分っていう心根、一緒ぢゃん。同類険悪、だからウザいんだひょ?だから「死にたくなる」程辛いんだひょ?だから世の中も騒ぐ。全能感の争奪戦。しかし、所詮、若いって未熟なんだよ。その為には「殺人予備罪」なんてのまで取りだす有り様。そこまでお子茶魔度進んでるって、10代までレベルさがってるってコトよ。もう、そんな「ピュア」=「若い」ってコトは決して絶対的なモンとならないのに、あくまでも「若い」ってことにこだわって、それっきゃ自己を見付けられないから「若い」ってことしか見付けられない方は「死ぬっきゃない」とおもうんでしょ。でー、今更、進路変更できないって?つくづく真面目だ。そーゆー発想が出ること自体が「若く」ない証拠だからな。
だからそんな「若く」ないアタシは「死にたい」か。死んでいつまでも若く続けるというファンタジーか。だからそれが、「若い」=未熟の正体なんだよ。「若さ」と「大人」を都合よく繰り出しつつ全能感を保とうとする側、こうしてカキコするネタの、その格好のエサとなってるダケぢゃん。いやー、付合いいいねぇ、真面目だねぇ、ポチだねぇ。ホントに、そんな「大人」がウザくてなんとかしたかったんなら、よりお子茶魔度を競うことではなく、その逆なんぢゃないかな。
ゴスロリファンタジーも結構なんだけどさ、もっとアタマつかって戦略錬れよ。所詮はそのゴスロリとか「死にたい」だって西川貴教椎名林檎を崇拝するように「他者」から与えられたものを消費してるにすぎないちゅーこと。