公開者の自己責任

サイト公開者が、自己サイトを公表するという事柄に対して、どういうスタンスでいるのかということである。
公開者としての自己決定が明確になされないまま、ぼんやりとサイトを表出してしまって、補足されてあわてるケース。自己表出と公(=ネット)という関係性を考えないひとが(どちらかといえばイタギモい)自己吐露を延々カキコしてるところなどが念頭にあるんだと思う。
たしかにそゆトコのひとは、プライベートである内面な〈私〉と、外面な個人である〈個〉と、ネットや掲示板共同体などの〈公〉の区別がついていない。リアルスペースでもなんとなく「軽い感じ」でつるむように、むきだしのプライベートな〈私〉のままラフに、複数の〈私〉としてぼんやりと戯れていたいといった感がかいまみえる。いわば、自己責任自己決定という重さを極端に怖がる?人々といっていいのかもしれない。そういうひとにとっては、悪意は無論のこと、好意さえ重荷になる場合が多い。…だったらネットでカキコすんなよ!といってしまえばそれで済むことかもしれないが。
こういうひとたちに対して、技術的な面でどういうフィードバックができるかということがさかんに検討されてはいるが、「様々なパーミッションを掛けて認証〈決定〉する」という自己決定という選択を迫る思考そのものがそもそもストレスを与えるようである。とすると、共同体の中の何重かの入れ子式の(「隔離」ではない)中において、一方的な外部スルーが出来にくくなるのが一番いいのかもしれないが。中から外は簡単にのぞけて出掛けられるけど、外から中はおいそれとはいけない。そこまで、手間ひまかけて守る形となる共同体って、村の中にある家父長制みたいなモンかも?なにしろ、漠然とプライバシーをダダ漏れにしちゃう困った(不思議)ちゃんが多いのは事実だ。