政治化する文化

世代論なんか意味ないっていってるひとは多くって、ワタクシもその口だったハズなんだけど、やはり、無意識的に知ってる=身体に身についている感覚はあるものと、意識的にしか知らない=表層の情報通との断絶さ加減は、世代論でしかフォローできないのかなーと思う。
前に知人達とサブカル話をしてて「80年代スピない」訳を知らない30代後半がいて、結構マニアックでかつサヨクで深く現代思想を語るクセしてそんな本質的なコトを全然解っていなかったという楽天的事実自体がワタクシにはちょ〜ショック!だったんだけど、最近の80年代ブ〜ムに言及しているネット内外の文章も、そういうコトがすっかりヌケ落ちたのかシカトを決め込むのが多い。「新人類」は80年代の新人類達が自分でこさえたり言ったりしたモンぢゃなくって、80年代以前の旧人類達がこさえたという来歴なんだけど。「新人類」と突然そうしちゃったコトにして過去を封印した80年代と同じ手法の反復。まーだから、お蘭的メンタリティを持ちつづけようとすれば、性別関らずコジレるしかなかったんだけどねー。
でー、そういう文章でどうしても得心できないのは、若さ故?70年代知らないとしても、どーして今の30代は90年代のオウムをそんなになかったコトに出来るのかって感じなんだけど。オウム世代って、マンガ宜しくお蘭的ぐじゅぐじゅを封印し新人類ひろみをやろうとしてワキの貧しさをなんとかしようと超然をもってきて結局ソコで挫折したっていう事実そのものなんだし。…想像力そのものが働いてないのか、逃走論にハマりすぎてひたすらブランニューってことで(エコだのスローライフだのココロだの)アイデンティティさがしのスピ渡り、オウムすらも断線しまくりなベタなのかどーなんだ?
現在30代前後でサヨクサブカルやってるというのが少なからずいるのもずーーーっとワケワカメだったんだけど、ひょっとしてこんな風に世代断線可能というある種の視野狭窄を健全?にやれるアッケラカンな器だから逆に、本来の社会主義の持つリアリズムのカケラもないサヨク建前サブカル在住なんて妙なコトやってられんのかなーとも。(あー、だから従来の左翼とは違う、サブカルの1ジャンルの思想オタとしてのサヨク、「文化左翼」なのか)しかし愚直にそれを繋げようとする生面目なひとも中にはやはりいて、その真面目な分コジレてるしかないのが常のようだけど。だからなんだかいつもサヨクサブカル=社会派アートは、アートとも社会ともおされサブカルとも程遠く煮え煮えでど〜ろどろだったりする、つんぼ桟敷の鬼っ子同人状態。
けど、昨今は、毛利嘉孝『文化=政治 グローバリゼーション時代の空間叛乱』ISBN:4901477080 などとまたぞろ大きな物語を出してきてむりやり総てを繋げようとしてるんだけど、本に拠るとその融合実践が「自分たちが見付けたサウンドシステムデモ」だそーだ。うっそー!音鳴らす集団デモンストレーションなら「サウンドシステムデモ」よりももっと大勢が昔から恒常的に(大半が無届けデモだけど)日本全国各地でやってるぞー。右翼街宣車は軍歌鳴り響かせてたぞー。暴走族はパラパラパラパラいわしてたぞー。チーマーも大音響なヒップポップでブイブイいわせてたぞー。大昔のええじゃないかの歴史的立場すらないのか。了見狭すぎ、「グローバル」が泣くぞー。サヨク偏向しすぎ。欧米で流行ったレイブだけが文化に、自分たちに繋げるに値するものなのか?それともそーゆーのを一切無視して文化を取捨選択してサヨク消費すんのが文化と政治の融合って訳かぁ?これって従来のカルスタ批判で糾弾されてる内容そのもの(周縁の享楽者)をやろうとしてるとしか思えない。
日常の周縁=ストリートったって、第一にそこここの路地に駅前にコンビニ前にたむろしまくってるヤンキーとファンシーが今日の日本地べた最大勢力にもかかわらず、今だサブカルとしてさえもアカデミックでは知覚されてないか、遠巻きにして断絶してるのが常なんだよなー。でー、オキナワだの在日だのいってても、、、はぁ〜、なんか日常と違くナイ?理想の日常してんじゃない、これも政治的配慮に拠る儀礼的無関心って奴なのかな?
学問総崩れ大学崩壊な状態で、目先の新しさを装った新装開店な人文系の表現ゲイジュツ学部ラッシュとか、サヨク運動系への闘魂注入とか、なんかそんな変なトコでデモって大バケしようとしてるみたいな感じがする美学美術なカルスタ。文化を建前にしたシステム先行型の政治論て感じがするな、自分達の説に都合のいいまだあんまりアカデミックな手あかのついてないトコばっかチョイスして権力軟禁化する便利な手段なのかな。それで、学問として大丈夫なのか。それ政治化しちゃったら、ちょ〜ヤバヤバでしょ。文化を政治のダシにすんなー。見るべき日常を見落として、オリエンタルとかエコとか退廃芸術とか社会主義リアリズムとかユートピアとか…過去にそんなのあったよなー、そゆ悪しき例はいっぱい。とどこうる水はクサる。見果てぬ対幻想か。余計なお世話だろーが、そんなトコに行かないように、色気だしてエースをとりに行かないようにと、大杞憂してるのさ。お蝶的孤高でいるからその存在価値があるってこともあるんだしー。いいこと、ひろみ、よろしくて。