作用反作用の法則

id:hizzz:20040119 の「悪徳商法」会社に関するカキコで、id:koseki:20040201 さんにはてなに削除要請があった模様。
はてな側のコメント:
 一部キーワードの強制削除についてid:hatenadiary:20040202
はてなコンテンツ削除ガイドライン
スラッシュドットの言及ツリー
id:hizzz:20030617 でカキコした通り、誰がどこ迄カキコの責任を負うのかというリスク分担のハナシ。記述内容の正負以外の当該行為としての自己責任は否応もなく負わなければならない。
最初に問題提起した悪マニさんに対してそのサイトのあるフロバイダだけでなくGoogleへの「削除要請」をとった会社であれば、Googleでの検索上位にきやすい「はてな」上で当該のことをカキコすれば、当然チェック対象にされることは予め覚悟しなければならないだろう。そうしたギリギリラインでいかに自己の真意をカキコにいかに盛込むかは、大変難しい。そうした時に暗示や陰喩ってのの出番となったりするんだけど。ホットな直裁文言の羅列に頼らない陰喩カキコテクとして、今回最終的?にkosekiさんの取ったケースのように淡々と事実ダケを列記してワキを固めて判断を読者にまかせるというのは、有効な手かと。伝達方法として、思っていることを全部カキコすればいーものではないのであるよね。

コンサバティブ基調に論をまとめつつ、人の耳目を集めるような面白い意見を述べるというのはまことに難しいことなのだ。逆にいうと、現状について苦言を呈し、上の連中を馬鹿にし、世の中間違っとるよ、と慷慨するような原稿は、大して努力を要せずともスラスラ書けてしまうんである。文才のない人間ほど、古いモノを否定して新しい方へ方へと走る傾向があるのは、別に彼らが心底ラディカルであるというわけでなく、技術的にラディカルな論説しかまとめられない、という問題もあるのではないか
チャットであろーがBBSであろーが日記であろーがブログであろーが内輪であろーが匿名/HNであろーが、言動行為という当該行為という人為は必ず発生するんで、発生したからには行為責任はあるんで、あるからこそ言動の「影響」を与えることができる。それがただの文字の羅列か正鵠を得た意見かに分かれることが、内容の定着の瞬間なのか。内容は内容だけで存在しえず、必ず形式を伴う。その形式というのが手法でもって表される。それが、書き方やブログやプロバイダーという媒体の選択をもってもたらされる。…って、むっちゃあたり前の事実なんだけど、ネットの「お便利」はカキコ側にそういう仕儀をシャドーワークにして見せないことで発展してきたもんで、ついつい忘れがちだが「責任」までは代行してくれると思い込むのは間違ってる。ただより怖いものはナシつーことか。
脳内妄想ヨタにありがちな帰結に対するシビアな自己内省を省くと、どんな正義正論も、いつかきた道に収斂されるのかもなー。