引用ソース明示

でー、artifactさんもことのはさんも、何度か『リンクしないで言及するという行為』というのに不快感を露にされてるんだけど。お二人の不快感というのはひとのカキコを、いかにも自分が考えた言葉のようにカットバック(劣化コピー)するなということなのかな。
「明快」「陰口許さじ」つーオープンマインド礼賛、WWW原理主義なんでしょうが、しかしネットはそんな主義なひとばかりではない。
引用ソース不明示としては、以下の動機が考えられるかな。

  1. メンドい

  2. .色々ネットサーフィンした印象なんでソース解らじ

  3. 自分トコに直接見にきてくれてるひとしか相手にしてない

  4. 「明確にすると野暮」解るひとに解ればいい陰喩手法
社会事件ヨタで「軽急便」とか「河内長野ゴスロリ」とかカキコしてるけど、ほんとはソレもちゃんと原典ソース明示しとくのが「文章読本」としては正しい行為だろうけど、冗長を避けるために、「社会/ブログの同時性話題」というトコに乗っかって省略するってことはある。
世間的な事件だけでなく、例えば、id:hizzz:20031120 はもーネットサーフィンの賜物、引用の嵐みたいなネタを元にした自分の脳内妄想チャートなんすが。それでもカキコ時に参考原典表記しようかどうか一応悩んだんですが、はてなのキーワードでいくらでも色々繋がってるし、URLズラズラならべても大変なコトになるし、読み物として面白くないな〜と。カキコ手法として、明確にリンク表記する〜暗示する〜文章中に溶け込んでいるというのは、そのスタイル自体がそのときの原典と自分のカキコの距離感を表してるっていうカンジかな。
特にニュース系以外の日記の記述はほとんどが4.の陰喩で成り立ってるようなものだろう。学術/同人系のように仲間内でしか通用しないジャーゴン(←はてなキーワードリンク解説に相乗り事例)連発することでハードルを上げて「部外者」排除することは、その情報ソース明示なんか無しで普通に行なわれている。セカイ系といったらそれまでか。大多数は論文カキコしてるのでもなし、自分のサイトを「ニュース(とその解説/感想)」とでも規定してない限り、どのように表記するかしないかをそこまで厳格にリンク明示を求めるのは、「儀礼的無関心」を他者に要求するということに対する「「ウォッチャー」の権利など守る必要はない。」選択肢に還されてしまうのではないかな〜。
といって、WWW原理主義を批判してるのではないので御注意を。あくまでも記述手法のひとつとしてのソース明示の有無なんでは。いろんな立場でいろんなカキコがあることこそを共通ベースとして担保してれば、あとは〈個〉々の自己責任で良いのではと。。。