かのクレタ人の嘘の有名なのを初めとして、嘘をめぐる言説は古今東西いろいろある。で、大抵そういうものが示す内容は虚々実々つーことナンで、解ったよーで解らん気分にひとを陥れる。いとも簡単に「解ったよーな気分」に陥れられてしまうひと=理解者(含む批判という名の理解者)って実は嘘にひっかかりやすいんである。
有名なハナシとして、「詐欺師は詐欺にひっかかりやすい」つーのと「一度騙されたひとは騙しやすい」つーのがある。騙されたひと=ひとのハナシを信じるいいひと、詐欺師=ひとを騙す悪いひとで違うハナシにみえるけど、この構造、「オイシイ」のが欲しいという点で実は同じなんだな。ナニに騙されたりナニを騙したりするのかというとハナシの「オイシイ」という部分だからだ。一獲千金的な、騙す側と騙される側で逆転する「オイシイ」部分のあるハナシを双方共有したからに他ならない。「自分にすごくオイシイ」と客観的根拠なく思い込み、妄想してしまったからこそ、騙される。世の大騒ぎになる悪徳事件から掲示板の騙り迄、嘘つかれて騙されたつーて騒いでいるのも、「ミイラとりがミイラになる」だけで、正直者ぢゃなくて単なるマヌケなんですわ。
一度被害にあってリテラシーがあるはずなのにとおもうのだが、実は一遍でも騙されたひとは、そのようなカタリによる利益が発生するのだということを実感する。その結論が「世の中にオイシイハナシなどありえない」というのではなく、もともとなにかオイシイハナシにうまくのりたいという潜在欲求が揺り動かされて自分が騙され実害をこうむったコトが相手の利益と直結したことによって、一獲千金なハナシが実際にあるのだと身をもって痛感学習するのだ。今回は失敗したけど次はうまくやろうと、そういうリテラシーを待つ。さすれば、今度こそホンモノですという釣り針をたらしさえすれば、いとも簡単に飛び付くのである。
では、そういう道のプロである筈の詐欺師が何故ひっかかるのかといえば、自分が常に全体を把握してものごとを俯瞰で見ている立場が自明であり、総ては自分が動かしてるという自意識に立つ一方的優位を信じて疑わないセカイ系だからだ。自分が嘘をついてるのに一生懸命なひとは、逆に嘘をつかれてるケースがあるという場合、立場が変動する分岐点を、自分の立場そのものについてはついぞ疑わずはなから考慮の対象外としてるからこそ、いとも簡単に見落とすのである。
ゲーム理論なんかでも二者間行動予想のパターンはわりとすっきりと数式化されてるけれど、これが3人以上になるともう複雑して予想が困難となる。実際のケースでは最初から最後まで二者間のみで推移してく訳ではない。まー、だから、楽観予想ばかり増幅させる為に「あなただけに」「こっそり」と告げられ、嘘は大抵、見晴らし風通しの悪いトコ、密室談義ばかり好んで潜行すんだけど。
実際、マルチ/悪徳商法を転々とするひとは多いし、大抵そういう系統のセミナーでは、ひとにぎりのうまくやった奴=詐欺師の自慢を吹聴して、うだつのあがらない大勢のルサンチマン、貧乏性をかきたてることに始終している。そうして「世の中、正直者はバカをみる」としたり顔でいいつつ、一度この構造にハマってしまったら、益々カタリの虜となりケモノ道に突進するのである。いぢましーのも考えモンだとゆーことで。。。