ハナシ半分。

あー、さてさて。上のカキコだと、どうしても嘘→詐欺師→犯罪てぇ風なニオヒが漂っている。しかしな、嘘→犯罪になる場合はあるが、嘘=犯罪ではないんだよな、これが。独りでナンか言ってても、ソレはナンか言ってるダケ、ヨタにすぎないんで、嘘は誰か信じてくれるカモが受け手がいななきゃ成立できないのである。「嘘も100回いえば、ホントになる」のは、先ずそういう嘘をいう当人からして自分で思い込み妄想にまで発展させるからである。なんてったって「小さい嘘よりゃ広大な嘘」のほうがガゼン妄想包容力があるからな。
んで前に上げたゲーム理論をひっぱりだすまでもなく、その言説の成立の為に、嘘はちょっとでも耳を傾けたひとを囲い込もうとマインドコントロールにやっきになる。嘘に巻き込まれるひとは、「ハナシ半分」「(数多ある内の)ひとつのおハナシ」という「聞き流す」という能力が弱く、ひとのハナシを流せず、時には根負けしたりもして一方的にハナシを聞いてしまうんである。だから大抵嘘つきはラウドスピーカーで、他者にとっては五月蝿くてうっとーしーのである。
ナニが本当=真実かなんてコトが明白になる事柄なんぞそう幾つも世の中にはなく、大抵は相対的なものの方か多い。そうした曖昧模糊とした不確実状態が不安でたまらずそれを重荷に感じてるひとは、「これが真相だ」「お前のコトは解っている」「私が言うから絶対」等やそれとは正反対の「もっともっと不幸になる」「なにもかもダメだ」等のズバリ「こうだ!」というコトバにひっかかりやすい。
いや嘘だとドコかココロのスミで解ってても、むしろ積極的に騙してもらいたい。なんでもいいから「確信」という保証を誰かに保証してもらえさえすればいい。そういう糸を垂れてるひとは、こっそり一言でも確実に拾おうと虎視眈々としている。だから、世間的何気ないキーワードに、過剰反応/適応してしまうのだ。
「騙すほうより騙されるほうがマシ」というけど、嘘の成立にいとも簡単に加担してる土俵にいるということは、どっちもどっちで、騙されたいひとがいる(消費ニーズがある)かぎり、○×主義や各種陰謀説やモウケ話や痴話げんかの相克や通販生活等あらゆる生活の細部に至る迄、広大なトコから微細なトコまで、嘘はヌクヌクと生き延びることが出来るのであるのコトよ。
嘘に単純にムカツクまえにそういう自分が嘘だってコト位みえすいてる単純にこそムカついた方がいいかも新米。正気を取り戻すには。
と、ゆー訳で、卵が先か鶏が先かの議論(これは「手続き」議論もはいるだよ)がいかぁに、ナニももたらさないわい小な世界を堂々めぐりする大不毛であるのコトなのでした。