らしさの病

「女は女らしくすべきだ」日本 28.4%

 

まー、他のとこでも随分取り上げられてるから、いまさらカキコするのもナンナンだけど。id:Ririkaさんトコでちょとネタふってしまったりしたので、もそっと。

id:hizzz:20040128で触れているとおり、70年代後半のPARCO広告は、「いや、いや、大人になるのは嫌です。」な乙女日本に、ドミニク・サンダフェイ・ダナウェイばりの「鶯は誰にも媚びすホーホケキョ」なジャンヌ・ダルクを掛け合わして「Girls be ambitious!」を提案した。ここで〈女〉像として「Girl」が選択された。そしてそんなあるべき、しかし今はまだいない理想の〈女〉は「はるみGirls」というエアーブラシで表現された。
そういう理想主義を貫ぬこうとうする新旧一体啓蒙思想は、フランス革命が題材の池田理代子『ベルサイユのバラ』の王妃アントワネット/女伯爵→革命参加オスカル、テニス学園ものの山本鈴美香エースをねらえ!』父の娘でありつづけるお蝶/使われる〈女〉でありつづけるお蘭/理想の〈女〉をめざすひろみというカタチをとって全共闘世代作者の少女マンガ作品に全開し日本全国大ヒットした。
ここで、戦後の乙女ロマンスを理想とする旧来の〈女〉像は変わり始める。
しかし、id:hizzz:20040123でカキコしたとおり、誰にも選ばれない多数の読者は、マキ的人生を選択する。ベルバラでいえば、貧しくもささやかな幸せという現実選択したロザリーに。重たい理想からふっきれた80年代は、そんなマキとロザリーの身軽な「Girl」の時代となる。お姫様物としてのベルバラ、スポコン物としてのエースを最後に、少女マンガの大河ドラマな成長譚は終わる。(あと大物としては『ガラスの仮面』が途中だけど)『日出処の天子id:hizzz:20040128#p1の愛と成長の挫折以後、主流としては成長をめざさない少女の周辺雑記ラブコメばやりになる。
ところで、オスカルに託された軍人職務、ひろみがめざすパワーテニス、というトランスセクシュアルな超人になることで〈男〉〈女〉の枠をこえるという方法論の他に、もうひとつの方法論がその当時提示されている。男子同性愛を題材とした竹宮恵子風と木の詩』である。ここでは女性読者がメタ視点を持つことによって物語の〈男〉にトランスすることで性を越えることを教えたのではないか。この傾向はやおいに拠って受け継がれる。オスカルみたいにきばらなくても、ひろみみたいに練習しつづけなくても、現実はライトなラブコメ女の子のまま、アタマで男の子に自在にトランスして濃厚な愛を反芻堪能する、おいしい生活。それがエアーブラシの着地した「Girl」の正体。とすると、ここいらへんで「〈女〉らしく」の虚構化の実地がはじまったのかなー。

男性優位も性の否定も間違いだ 読売社説
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040219ig91.htm
はいはいはいはいはい。読売社説氏は深刻だ。「男性、女性であることをよりどころにするアイデンティティー形成」をしなくなってる高校生に。社説氏は「男女が互いに違いを認め、理解し合うことの大切さを子供に教えたい。」らしーが、ワタクシとしては「社説氏と高校生が互いに違いを認め、理解し合うことの大切さを倒錯した社説氏に教えたい。」のだがねー。(エラソーに)
まー、〈女〉でなく「Girl」=女の子でいたい女性はいっぱいいる。だから〈女〉と「女の子」は似て非なるものなのよ。そこんトコはまず、大変重要なポイントだわ。それ区別つけずに「男性、女性うんぬん…つーててもなんだかなー。
で、更に、その「Girl」=女の子の中身も時代と共に変わってく。