キャズム

…というと、「ブログはキャズムを越えるか?」話になっちゃうんだけど、まーそんなのはやってみなくちゃワカラン。そのムーアのいう「テクノロジー・ライフサイクル」は別にテクノロジーにかぎったことぢゃなくって元々はビジネスサイクルの転用という人為行為である。そしてテクノロジーもそれを使うひとびとの人為でどーにでも転ぶ。
秋葉原TV」等のアートプロジェクトをやる中村政人は、韓国の泥棒市場での盗品TVに映る衛星放送の相撲中継を見て「ハードに依存するのではなく、ソフトの力で風景が一瞬異化されたという体験」ということを語ってる。断線してるようでしていない状態。そんな一瞬のスキをついた繋がり、そういう「原っぱ」という平場の見付け方もあらーな。そっちの方がワタクシとしては、「降りる自由」というPC(ポリティカル・コレクト)なアタシを一々たてて退却するシンドサをいいたてて「認めて君」固執するよりも、ずっと可能性があるように感じるんだけど。
しかしまたそれも最近ガクモン村での権威づけ「文化=政治」ってことにとりこもうとするid:hizzz:20040123#p2ならば、〈個〉のあくなき追求であるアート/文学を政治議論中でやるってことにつながるんだけど、しかしそうして自己プレゼンスしてみたとこで、肝心要の議論内容はオミソでいつになっても、本論→なんらかの帰結にたどりつかない回避ゲームには違いないのでした。あ、そーか、こうして責任解除は有効になるからいーのか!
それがPCな高みに立つガクモン・エリート村な皆様とハナから降りたマンマの地べたパンピーとの『キャズム』『バカの壁』つー奴なのかなー