ハナシ

ハナシをネットに戻すと、強烈なコンフリクトはリスクが大きいから、ここはひとつ「そゆ意見もありますねー」「ねー」という儀礼的関心を装うトコにおとしこむのが、ヲ・ト・ナの一番波風たたない無難なやり方かもしれない。ま、そゆしらじらしーのもクサいんで、ああいえばこーいうネタ&ヨタという小賢しい手をつこてるんですがワタクシ。
しかし、ネットのつたない文章スキルや自己吐露を、コバカにする奴は多い。だいたいさー、「ビジネス文章」「論文」「議論」が書式と発話の正しいありかたでそれ以外は認めないって意識、ちょっとどーかしてない?プロ/アマ/デムパ/鬼畜系問わず日夜ネットで量産される表現は、そうした目的に書かれる訳ぢゃナイでそ。「ビジネス文章」「論文」「議論」が三度のメシよりゃ楽しいひとはそりゃあいるかもしれないが、そゆセカイ系人文ライクなのは、多分、きっと、絶対、少数派だろう。むしろそういう色々なシバリで固定されるツマンナサをなんとかしようとして、DQNDQNなりに、アスキーアートだの、2ch用語だの、コピペ文だの、オトナ語だの、ギャル文字だの、アイコラだの、シニカル&ロマンだの、オンドゥル語だのと、表現形態&使用形態の色々なコミュニケーションのバリエーションが日夜発展してるんだからな。 学術ジャーゴンの乱立と同じくそれもりっぱな表現の「多様性」=文化ってことなんじゃないかな。
しかし中にはそゆ「文章の乱れ」に憂えて、盛んに「文章作法」なるものを教授布教活動しだす奇特な方もおられる。「メールの書き方」等ネチケットとして現に多くのものがネット上でも存在する。斎藤美奈子文章読本讃江』ISBN:448081437Xまでもなく、既得権益学問ヒエラルキー教養主義者(=正論)の呪縛だってことなんだけど。
大勢の人が本や雑誌や日記やネットに寄せる、「読書/ヲチャーの楽しみ」とか「書く楽しみ」って、学問ライクな皆様にありがりな「理解すること第一」なんていうそんな狭い領域なのかねぇ。誰もが、明快さのみを求めてそれを表現したりヲチャーしてる訳ではない。ニーズを読み違がうとどんな正論だろうが、表現の仕方とコミュニケーション作法全般を無視して他者を推し量ってることなんで、それはたちまち、いたる処でコミュニケーションブレイクダウンというところか。
儀礼的無関心」の対象とされる「同人」が一番嫌悪しかつ逃れたいと思っていることは、そうした一方的カテゴライズで「解ったフリ」をしてマトリクス内に収めようとする社会システム論同人社会がもつ権威握力そのものではないだろうか。ひょっとして、ほっとかない着目せざるを得ない(学問)理由を検証した方が他者侵犯という罪はないかもね〜。<主体ヌキに血道あげる皆様方をマトリックス
まあ、同人系もヲチャー系もどっちも、イヤがられてる自分て否定される主体な現状に耐えられずスルーしたい為に、そゆ事実を婉曲に慎重に糊塗したり回避したりする作業のバームクーヘンなアレコレって、ホント大変だな〜っと、つくづく思う次第。