週刊文春「仮処分決定」

田中前外相長女の私生活ネタ記事をめぐるあれこれ。今週の週刊文春はキアイが入ってる。「ペンは犬よりも強し」とばかりに文芸春秋に忠誠を誓う識者?お歴々が、ここぞとばかりにポチPCで守立てる。反論は伊藤洋一ただ一人。ん〜、折角人文左派みたいな狭いマイナーコンビニから、メジャーコンビニ前にうんこ座りしてみようと思ったのに、これではやってることは同じぢゃん。立花隆曰く「これはテロ行為である」らしー。あははダメだ、こりゃ。でも売れるからいーか。ん?売上目的ぢゃナイから、取次要請部数から3万部へらして出荷しただとぉ?3万部の良心。ポチのフンかな。終了。
大体これを「言論/出版の自由」vs「プライバシー権」に問題をすりかえるなんて、ちゃんちゃらおかしいや。「仮処分申請」=「発禁」と直ちに結び付けて、情緒的に「言論統制」を引きだそうとするうわっついたジャーナリズムの安直さ。だって、取次業者&小売店に降ろされてる大部分には「回収命令」はなく、現にパンピーに販売されたんだしな。
将来立候補する可能性があるから、公人の家族は「みなし公人」なんだと。アホー。立候補し国政に参画するのは国民の権利なんだよっ。公人の一族郎党はその傘に下ってるのがしかるべきで、だから公人特権に拠る家族優先待遇も当然ならば、その家族成員の個人の罪は一族のハジになるんだな〜。〈個〉であることなんか許されねーつー。
ふ〜ん、だから今回の長女私生活ネタは、立花が書いてるように、娘をダシにして〈母〉たる田中真紀子の人格資質を問い、それによって母娘の政治家としての資質はおしてしるべし。と、そう言いたかったんだよな。今回「独占スクープ」された内容を「いや別に対したことないじゃん」と思うのは第三者の身勝手な判断で、自分の意にそわぬ私生活=個人情報を公然とバラされるのはセクハラにもなるんだよ。自分でネタふってダシにした末に「配慮と長女をやさしくいたわる書き方」だとぅ?DVパターンかよ。ヲヤヂの自己欺瞞、ドあつかましーにもホドがある。
「田中の政治的後継者」そゆ言説がまかり通ってる現状こそ、「あの時代」から一歩も進んでナイってことぢゃん。
大体、政治能力が劣るってことを、プライベートを「独占スクープ」という「スキャンダル」としてしか表現できない言論商売としての自分たちのショボさってどーなのか。今回の長女側抗議をハナからカタをくくって出版直前の形式的対応でやりすごそうとし、首しめられてあわてたってコトぢゃん。手前商売の判断ミスってことを「言論統制」という政治言語にすりかえて糊塗しようとしてるぢゃん。とどのつまり、そういうお便利&安易な既得マッチポンプでぬくぬくとしてきたことが自分たちの「言論統制」をしてるってことがあるしなー。「裁判官がこの業界や言論というものにたいして、あまりにも無知だったのではないか」と林真理子は自分のエッセイの中で書く。そーゆーコトをいう自己にべったりと張り付いてる特権意識に対してあまりにも無自覚、自分たちは絶対に間違わないって思ってる連中は、政治的思想的にどういう立場であろうとうとも、タチ悪いって。自己無謬性という観念の低さにすりかえるのは。