無批判の温存

昨日うだうだカキコした内容id:hizzz:20040324について山伏クレムリンさんがサクっと的確な要約をなさって下さった。

日本の社会には、他者に対して自立した「第三者」として機能する個人は存在せず、ただ自分の常識を敷衍した「世間」をいかに広げるかを巡って、相対的にしか観測されない類の差異のパワーバランスを自己の優位に導くためのゲームが展開されているに過ぎない

これぞ「差異の戯れ」?  山伏クレムリン、阿呆船に乗る
http://pavlusha.exblog.jp/100169/

そのとーりでゴザイマス。ううぅ。ありがたや。ありがたや。m(__)m 「言論の自由」や「プライバシー」が脅かされるのは「無批判の温存」を(誰が責任を持つのかわからない)構造=日本的お御輿というカタチに持っていき、そこであぐらをかいて楽=思考停止した時ではないかと。システム論的言説が跋扈する「社会学化する社会」はそゆトコに構造的にツッこむ危険をいつもはらんでますねぇ。