日本人パツキン計画

マクドナルトの元日本総代理店であった藤田商店会長の藤田田が亡くなった。合掌。
カリスマの死をむかえて、またひとつ昭和が終わっていく。id:sujaku:20040427さんのところで、熱くせつない想いがぞんぶんに語られている。ぬぁんでも孫正義が米国留学時に持ってった本が、藤田の『ユダヤの商法』ISBN:4584007594。ある世代以上には強烈な印象/影響を振りまいた、ユニークで愛すべきカリスマだったと想う。
「日本の若者を金髪にしよう。」という表現で語られた「食を通じ世界に伍していける真の国際人を育成できれば」というのも、彼の怪人的キャラから現在では半ばトンデモ的に語られてはいる。しかしそんな彼の信念は、ダイエー元オーナー中内功と重なる。ポイントは「飢え」だ。戦後大ヒットした『風と共に去りぬ』のラスト、スカーレットが「私はもう、決して飢えない!」と大地に誓ったその「決意」そのものだったかと。
藤田が戦後進駐軍相手の商売から身をおこしたなら、中内は復員後ヤミ市商売から身を起こした。この手をかかせれば絶品の佐野眞一 『カリスマ―中内功ダイエーの「戦後」』上ISBN:4101316317/下ISBN:4101316325 によると、中内は店がいつも商品であふれかえっている状態をもってして「最良のアピール」としていたという。藤田のいう「いつ、どこで、誰がやっても、同じ笑顔で、同質の味」という「平等」こそが最上の普遍的価値。そしてそれを追っていけば、事業は拡大成長しアメリカ社会のように体も心もみんなで豊かになると考えた。
別にハンバーガーだけ食べてた訳ぢゃないけど、戦前よりも体位は格段に向上し、気がつけば「ジャパン・アズ・ナンバー1」になってた1982年に藤田は「本年から当社は、中期10年に挑戦する」と次の段階に入ったことを認識し、会社は順調に拡大路線を進む。
雲行きがあやしくなったのは、パツキン若者が町にあふれてきたバブル時期。「価格の安定したものを大量に」という平等感が行き渡ってしまったら、必要以上の購買動機はかき立てられない。中内ダイエーは、スーパーをデパート化する高級&多角化戦略を取り結果、土地投機への金利が本体事業収益を圧迫するというカタチで失速していった。スーパーの低迷をしり目に、コンビニが強力なライバルとして頭角を現してきたのもこの頃だ。マクドナルドは、セットメニュー策で低価格戦略をとった。マクドナルドの基本ラインはそのままに、他事業と提携していく。藤田の強烈な信念が「アメリカ流」スタイルというのが時流に合わなくなってきた(顧客に魅力を与えられない)という事実を軽視したのだ。いわば「マクドナルド化した社会」にマクドナルドは魅力に感じられずに飽きられたのだ。
以降、マクドナルドは豊富な資金力/食材調達網から繰出す底価格戦略でのみ、顧客を確保していくデフレガリバーであったが、それも資金がつきるときがきた。通常価格に戻した時、安さゆえ飛び付いた商品力でしかないなら、客は他社を選択する。それで客を呼び戻す為に又、低価格戦略に戻す。その繰返しで、さらにマクドナルド自体のブランド力は弱体化した。中内ダイエーも、顧客バナレのパターンとしては同じケースをたどった。そして、2人とも経営から引かざるを得ない状況に至った。
「信念」というのは、ひとつのことをやりとげようとする時、強い原動力となるが、山の一定ライン迄くると、その自明としてしまった「信念」によって頑迷となり、打つ手を失うという非効率なものであったということなんだな。そして、それを手放すのが、いかに難しいものであるのかということを、しみじみと。
…と、いうことは実質的には、バブル前で「昭和」の歩みはストップした、ということか。
id:Ririka:20040425#p2さんトコでお書きになられてる、あるひとつの「コスモポリタニズム」の追求の栄枯盛衰例としても。)
あとは、岩になる迄削ってしまわない内に、どーするか??

藤田田語録
http://www.mcdonalds.co.jp/company/history/denroom/denroom.html