モラル

上下左右遠近、発祥はドコからでも、「○○ねばならない」=「モラル」価値覇権を争っても、その論者達は、反対論を反対することによって得る自己モラル確認という思想運動=視点の固定化をもってして、かかげる思想も「ワン・オブ・ゼム」だという多視点な「その先」については思考停止してるからハナシは進まず、後はいかに精密に「バカにバカというバカ」論争みたいな循環論法=論争内輪言語にしかならない。したら、せいぜいが為にする議論か、反感ゴッコ=人格批判による果てしなきシーソーゲームでしかないしなぁ。
他者に対する反感表明が有効になるのは、その対象者&傍観者が自分の承認を必要としてるという「解りあえる」関係共同体の前提の上でしか成立せず、けど実際は、自分で想ってる程、他者は自分のことは気にかけていないもの。
だもんで、大抵「反感」は「認知されない自己」という被害感情に自縄自縛されて、自らの可能性を失う。少年ジャンプのごとき(思い込みの)強さのインフレが過ぎると、自己崩壊するね〜。
んだば「支配しやすいモラル内の他者」=目先をターゲットにして、そこここで〈癒し〉の為のイジメ、うさばらしの負のループ関係=「恣意的強弱二者間関係」維持でお茶をにごして日がくれて、、、なんだかなぁ。
  …自己感情は、〈私〉の中に大切に自己保存いたしましょう。