キャシャーン

なんであんな陰気で自虐的なハナシを、今、映画化するかなぁ?とおもってたら、読冊日記さんで「そもそも、父親ひとり許せないような若者に「ぼくたちは許し合うべきだったんだ」なんて言われても全然説得力ないんですが」と端的な感想(大爆笑)で大納得。なるほどねー、「セカイの中心で愛を叫ぶ」病、現実対峙より遠くの理想くるしい時のカミだのみ…コレだったんすな。
この映画に対するワタクシのひっかかりはこれで解けたので、ま、そのうち機会があったら、割り切って楽しんで見れるやも…しれません。(要は、未観)
なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/hondat/view/kyasyan.htm

映画館に入ったが最後、観客は、それがたとえ自分の嗜好に合おうが合うまいが、スクリーンに映る映像を一方的に受け取るしか出来ないのだという無力感、これこそが映画館で映画を観るということの本質であり、そのことを意図してかしらずかまざまざと示した『CASSHERN』を、映画と呼ばずになんと言えばいいのか。

空腹海岸海の家 実行準備委員会(アジト)
http://d.hatena.ne.jp/beach_harapeko/20040509

と、id:beach_harapekoさんが、視覚と聴覚と時間と空間を支配する映像手法(本質)とセカイ観がガッチリ結びついた思想貫徹故の、現実のキビシサを表現されてる。