ジェンダー問題

この問題で「男子オタのホモフォビア」を防波堤にするかしないかがポイントとなっているが、メタ視線を強調した「男性のオタとの関わり」を持ちだしたり「ヘテロセクシャル男性の視線を過剰に内面化してないかなー」(≒「腐女子」側の過剰反応?)と兆発的な言及をして論を結ぶという、むしろそういう方向(上部/下部構造)にハナシをひっぱっているのは伊藤さんの方に読める。なぜなら、「腐女子」を主題としながらもその記述には少しも「腐女子」側と同等の視線に立とうとする気配がみえないからだ。そうした相手側の事情を斟酌しないように見える論戦を張ったまま、「もっと楽に、自分に優しくしてあげてもいいんじゃないの」とか「もっときれいな言葉が使われたっていいじゃないか」とか「もっと気楽に、明るくできないの」というような「他者に対する意識的な感情のレヴェルでの挑発」」を繰り広げて自説補強行為を見せ付けられると、多くの「腐女子」は、自らのアイデンティティを守る為に沈黙し「悲しそうな顔をして、引き下がるしかありません」であろう。
確かに自らを「腐女子」というからには、セクシュアル・アイデンティティ及びセクシュアリティの問題は包摂して避けてとおれない。しかし、確実に「腐女子」趣味に向けられたPOP記述に対する是非という問題提起には、男性のみならずヘテロ女性や子供という社会への配慮が欠けると emifuwaさんは理由を上げられた中で言及されてるのであるから、「ヘテロセクシャル男性」と性別固定されたものではないであろう。