マイナー趣味と世間

腐女子」趣味人にとっては大問題であるが、POP問題そのものはパンピーから見れば「そんなに目くじらたてることじゃないぢゃん」で終了するであろう。反感に物言いした伊藤さんも最初はそういう軽いノリであったように感じる。POPを書いた店員もウケ狙いの軽いノリだったであろう。それだけ、趣味の渦中と外部では落差があるということである。といって、自分達がマイノリティだから享受できないPOPに我慢するという必要もないし、POPターゲットとされた「腐女子」趣味的にダメなものをダメ出し表現する裁量権は充分に趣味人側にある。当事者である書店にメールなり手紙なりで一通り抗議すればいいことである。そしてこうしてうぢゃうぢゃ言ってるヲチャー等、ハナシの合わない者達に、なんだかんだ言われても無理に自説を通す為に無理に「付き合い」「内面を出す」必要はない。
原作が原作として確立してて始めて自由に受け手側で妄想に遊ぶように、主体は自立した個人であって始めて、マイナー趣味に存分に没頭したり、五月蝿いことをいう者達や、理解できない世間に対して、そういう違いを認めた他者としてクールに対応できうるのだけれど、「腐女子」側のそこいらへんのゆらぎが「腐女子」たらしめてるところでもあり、またそれをいともたやすくマジョリティに捕まえられるという構図に陥り感情的反発言語ばかりで表現されてしまうことが、「腐女子」が活きづらそうに安易に解釈されてしまうところでもある。
しかし、内面を言えとせまるのは、自慰の仕方やベットの中でのふるまいをカミングアウトしろというのと同じでそれは失礼である。露出狂とは正反対の「腐女子」なセックス・コンシャスとは相いれないことである。ヘテロでもゲイでもセックス・コンシャスというのはプライバシーに属する問題であり、それだから尚更「腐女子」趣味が世間に露出されてしまうのを、憂慮しているのであろう。>POP記述問題
ヘテロな異性間ではそうしたセックス・コンシャスを公然とカミングアウト要請は普通しないであろうし、したらセクシュアル・ハラスメントである。しかし、それがゲイやマイナーフェチ等、セクシュアル・マイノリティに対する興味が過ぎて、一線を越えてその他者の持つアイデンティティに対する尊厳やデリカシーのなさに、マジョリティを自明とする世間も自分も気がつかないことが多いんだよな。