趣味のありかた

そもそも「やおい」や「腐女子」って、著作物とファンという関係性のライン上での幻想趣味の形態であって、思想や評論という作家創作行為ではない。当事者達もそれをよく解っているから、著作物への「愛」=リスペクトを第一に掲げて、その上で自分達の幻想/妄想を自由に展開しているのである。そういうことを密やかな楽しみという暗黙の規律ある世界の快楽=本道を共有してきたのが、「やおい」や「腐女子」の方々であろう。だから、ワタクシも過去にカキコしているように、そゆ暗黙の規律を破ることは、その世界を変えることになるので、伊藤さんが望むラディカルに明るくなった「やおい」や「腐女子」は、今の趣味形態と変わってくるであろう。趣味人と創作評論行為がごっちゃになってはいないであろうか。創作評論行為に対しては、伊藤さんの善意の忠告も有効であろう。無論、創作評論行為をしようとする「やおい」や「腐女子」趣味人もいるであろう。しかし、現実のリファー対象者である彼女達の多くは、第一に趣味人として自らをアイディンティファイしているのである。だから、urouro360さんは、「想像上の「腐女子」に対して呼びかけている」と考察される。
ワタクシは単なるヲチャーであって、「やおい」「腐女子」趣味はないが、しかしそれでも、幾つかの原作本と同人誌とサイト等の書込を読んだかぎりに於いて、彼女達の趣味とその棲み分けの規律は充分共感でき理解できる。そうした時、冒頭で「そんなに卑屈にならないで、もっと堂々としてなよ」と伊藤さんが記述されたことは、そうした趣味人に対してあまりにも軽率であった感が否めないと考える。しかし、ここでいくらヲチャーや現実の趣味当事者がアレコレいったところで、「定説」にはならず水掛け論になるばかりであろう。「やおい」自体、発生して20年程の月日がたちその形態も刻々と変化している(だからこそ「腐女子」というネーミングが新たに出てきている訳で)。石子順造*1迄動員して自説をたてる伊藤さんが「腐女子」趣味現状に納得理解を得るには、ハラさんがお書きになってるとおり、コミケ等で「腐女子」物の現物を御自分自身でフィールドワークして分析されるのが一番である。
[謹啓、伊藤剛様]参考の為の追憶
http://d.hatena.ne.jp/XQO/20040818
オタク論 腐女子論:期待
http://d.hatena.ne.jp/urouro360/20040818#kubiki

*1:引用された「少女でなければかけない男性」という作家作品論は、「やおい」や「腐女子」趣味とはまったく関係ない