言語の思想*4

id:tokyocat:20040918、id:Ririka:20040917
理念もいろいろ、解釈もいろいろ、へ理屈もいろいろ、表現もいろいろ、とかく世の中いろいろ。要は、言語でも論理(理屈)でも、それを使用/運用する規範理念=思想信条が違ったら、その帰結はバラバラになるのはしごく当然かと。
ワタクシ、愛想というものがあんまりナイ者だから、「謙譲の美徳」つーもんを発揮する機会をいつも逃している。そんでもって「理屈」はこねても、「論理」はこねない(こねられないとゆーのが背正確ないい方)。んで、相手を惑わせタコ壷に押し込めても、基本的には反省しない。ヤな奴。
id:hizzz:20040911で(まさに「激情」とまではいかないまでも)思い付くままダーっと書きなぐって、(ワタクシ的にはスジとおってても)さすがにこれは他者には意味不明でヤバいとおもって、ポロポロ注釈いれたら、いっそう脈絡ジャングル(@kmiuraさん)化して混迷極めまるメークミラクル(@長嶋)な、ぐしょぐしょ状態と化す。…ま、でもそゆ状態がそのまんま「ネタのタネ」そのものなんだから、いーやと、そのまま留め置く。他者に厳しく自分に優しい、基本だな。あはははは。<笑ってごまかす。
「アタマが筋肉」って、体育会系をバカにする言葉としてポピュラーだけど、いってることと、やってることの整合性のない人々のこと、理屈ダケあって実際に即さないことを「卓上の空論」とか「学者バカ」っていうもんね。いくら論理論理とこむづかしーことをいいたてていても、言語論理というmyワールドだけで自足してるさまは、半径数キロの身の回りの身体論理で自足してる市井の小市民となんら変わりないと思うんだけど。わかっちゃあいるけど、やめられない、とまらないということは、人生にはとても多くて、トライ&エラーの中からそういうひとつひとつの自己行動の最適コントロール化する方に五感集中するほうが、なにかを理論言語化(表現)することよりもはるかに、この先の未定で不安な生活の足しにはなる。普遍も結構なんだけど、まず今ある状況の中で自己が自己として成り立たなければどーしよーもないもんな。え?プラグマチィクで夢がない?霞食べて活きていけるほど自己インフラ整備されてないモンでね。あはははは。
言語にまつわるハナシは書き足りないことがたんとあるので、おいおいカキコしてくつもり。昨今の言語にまつわる問題としては、岩波『科学』vol.73「言語の起源」で言語/認知/脳科学/行動/生態等の学者達による網羅的問題提起が、カキコする上で一番印象に残っていたかな(読み返してる暇がない)。元々「科学」雑誌なんで人選的に理科系が多く人文系は言語学者のみで、そしてそこで溝ができていたが、言語を言語のみに頼らず多視点でとらえる特集は、総花的にコトとらえようとする傾向にあるワタクシにとっては興味そそられることばかり。しかし、当然、結論は出ない。
Ririkaさんどもねぇ〜(と手をふる)、いつも王道にキチンと踏み込む勇気と見識には、毎回わくわくよん。上記の雑誌特集のなかで、人文社会学の中には左翼信条に基づいた生物決定論に対する警戒から適応論に懐疑的であり、科学の持つ進化的アプローチと相性のわるいものがあると、おおまかにさらっと指摘されていたけど。あ、そーいえば、リベラルな方々お好みの科学者/本ってのも、そゆ傾向があるなぁ。ふー。文系vs理系のキーは、かっての「ダーヴィニズム」と「構造主義生物学」あたり(人文系構造主義との実際の関連はどーなってるのか)だろーな。はてなにそゆの専門なひとはいっぱいいそうだからな。誰かよろしくたのむよ、ひとつ。<他人にふってごまかす。
『知の挑戦―科学的知性と文化的知性の統合』ISBN:4047914304、『社会生物学の勝利―批判者たちはどこで誤ったか』ISBN:4788508826 まー素直に「科学哲学」に踏込めばいーのか。うっ、めんどーだ、むにゃむにゃむにゃ。。。<語尾不明にごまかす。
今、仕事でどーにもこーにも、本読んだり読み返したり、じっくり考えたり、カキコしてる時間が殆どとれない(と、いーつつ現実逃避だらだらカキコ)。しくしくしく(TT)<泣いてごまかす。