繋がらないハウツウ

最近は、なにかとセミナーばやりで、そのニーズごとに細かくハウツウ専業化して、ニートをなんとかとか、コーチングでなんとかとか、シニアがどーたらとか、やたらマニアックなことになっている。そして、趨勢?的には、もっと細分化先鋭化しないとダメみたいな風潮ですらある。
ロックでも何でも同じだと思うけど、実業を座学でなんとかしようという発想=根性自体を疑うってことはないんだろうか。
そうした細分化先鋭化したハウツウや「意義」を誇る理論は多い。が、何故かそれが恒常的に「役に立っている」という状態にお目にかかったことがあまりない。世界と自己とを結び付ける自己マネジメント力といったものが、一番求められているのであろう。そしてそれに必要なのは、知識ではなく、智恵なのだ。たとえ超難関大学MBAを取得したとしても、それは実際のマネジメント・センスとはまったく別もんなんである。そのひとの身についているものは、その時の学校が限定掌握している特定エリアでの模範解答にすぎない。そんなことすら解らないで実世界でデュプロマを振り回すひとは、関西弁で「ガッコアタマ」といわれるものとなる。
どこでナニを学んだり訓練するもそれはそのひとの勝手であるし、その方法論は個々の向き不向きということが必ずついて回るから、唯一無二の完璧な方法なんかない。
繋がらないハウツウの中でうだうだいってても、「(他者の)役にたたなさ」分はひきこもりとなにも変わらないが、〈個〉であることと孤独に格闘しているヒッキーに比べて「ハウツウ」権威にべったりと便乗してる分ダケ、始末悪い。何故かといえばそれは相互関係を放棄して、変わりに「権威」を持ってきて、それでもって世界を取結ぼうとしているからだ。だからそゆ「根性」から繰出されるものって、ただただ個人の立ち位置保持ってことでいっぱいいっぱいだから、(他者には)期待できるモンはでないなーっと思うばかり。
で、そゆところでやりとりされてる「学問」とはいったいナンなんだって思うに、とどのつまり知識という名の権威情報を消費することでしかないから、「学卒無業者」なんて形態が量産される事態となっているんだろうな。