昭和1ケタ

40代の親は70代前後(昭和1ケタ生まれ)であろう。双方健康で健在しているというケースばかりではなくなるであろう。高齢化するにつれて、子供の行く末よりも自分の将来のことが切実になり「手元」にいるメリット(多分に精神的なものが多いだろうが)に気付き、「無理に結婚しなくともよい」(=いまさら他者侵入による関係&生活変化することに対する恐れ)と譲歩してくる…ということがあるかもしれない。親の方が子供なしのこの先の人生の不安に捕われるのである。
だから、娘と和解しておかなければならない。「容認するから最後は面倒みてネ」という暗黙(予定は未確定)の忖度取引である。いわば「介護」ということで親子の立位置が逆転するのである。これは、仕事をもっていない未婚女性でも有る程度同様なのではないだろうか。
ぢゃあ、ナンで40代男性は結婚願望から「解放」されないのか?実は、女性が「解放」されるのも、男性が「解放」されないのも、キーはソコにあるんでなかろうか。「親のシモの世話を息子がする」…そんなコト当事者双方が考えられないのである。もとより部外者を家に入れることはしたくない。したから、婚姻によって関係者化した適任予定者をみつくろう必要が出てくるのである。女性には失礼なハナシではあるが。
昭和1ケタが婚姻を迎える時期1960年代に、姑小姑的旧習を引き継ぐのを嫌って(家付カー付ババア抜)、「夫婦単位世帯」=団地生活がアコガレとなった。家業をつがない「サラリーマン&専業主婦」というカタチも、昭和1ケタ世代から始まった形態でしかない。なにしろ自分がそうやって旧来因習と手をきって生きてきたからこそ、自分も又新しい世代に捨てられるのかと、老境になるにつれて「淋しさ」から子供を手放せなくなるとしたら、、、自律できなかったのはいったいダレなんであろうか、ね。