ポスティングでタイ〜ホの顛末

立川自衛隊監視テント村が、今年1〜2月に反戦ビラを自衛隊官舎にポスティングしたところ、3月に住居不法侵入容疑で逮捕・家宅捜索&長期拘留された件が、ようやっと八王子地裁で無罪判決が出た。オセエんだよ、ったく。。。
ポスティング行為そのことを司法&警察がジャッジすることは最初からムリがある。となると残すは、具体的な「被害」。住民と逮捕対象者の具体的関係行為による実害立証になったのであろう。アラさがしの為に3人は異例の長期拘留となった。が、しかしポスティング行為以外のコレといった具体的侵犯行為はでてこなかった。

被告らによるビラの投函(とうかん)自体は、憲法21条1項の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すものとして、同法22条1項により保障される商業的宣伝ビラの投函に比して、優越的地位が認められている。

毎日新聞 2004年12月16日
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20041217k0000m040020000c.html

この判決に、まったくもって異論はない。
が、この件で重要なことは、その「優越的地位」の使い方である。自分たちが愚直に正しければいいとしても、相手方に「気味が悪い」という印象を持たれては、コミュニケーションすら成立たない。
「過激な行動をするわけではない、普通の市民団体だと認定してくれた」というその「普通」という認識概念が、ある特定のイデオロギーの中の普通であり、その普通に裏打ちされたイデオロギーをもってして、違う社会の中にいる他者に対して発信され(たとえ発信者側が強制したという意識なくとも)享受強制されたとき、それは時には強い恐怖感を伴うということがある*1。「正義」「正論」という有無をいわさぬ教条/高圧イデオロギー・ハラスメントになってしまっている場合があるのだ。が、しかし、あまりに真摯で愚直なあまりそういうこと=自己立場の相対化に気が回らない活動家がいるid:hizzz:20040312#p。 無論それでもそれは、刑事的責任を問われることではないid:hizzz:20040424。
リベラルを自任され反戦運動されてる方々ならば、「ある程度の道理性(他者の痛みへの共感能力)と合理性(長期的利益に配慮する傾向性)を備え持った主体」@北田暁大 を持たれておられるのであろう。かってのファシズムファシズムの正義でもって〈個〉を圧迫した。それだからこそ、憲法で思想信条、政治結社の自由が明記されているのである。イデオロギーはかようにモロ刃の剣なのであるid:hizzz:20040328。人権という印篭もまたしかりであるid:hizzz:20040716#p2。
なにもかもが不確実性な昨今、思想の上下左右前後関係なく「正しさ」という唯一無二の絶対的な根拠をもとめてやまない風潮であるが、はたして正しければそれでいいのか?イラクで殺害された香田さんの家族が、息子の死を政治利用しないでほしいといった意味は、このイラク反戦でのバッシング騒動の中で、かぎりなく深く重い言葉であろう。id:hizzz:20041031
だったら、尚更、マイノリティ運動をなさる方々は、今度のことで「官憲の横暴に闘争勝利した!」的方向の「知る権利」という「正義」「正論」を盾に幾重にも自己無謬性で自己構築した鎧をこしらえるのに夢中になるのではなく、むしろ反対の多様な切口で食い込んでいったほうが、本当に心密かに困っている自衛官&家族との繋がりになるのではないかな。
この件で拘留起訴された者のひとりは知人である。知りあいがやってるからとてカキコしている通り、その活動内容に全面賛同することはないが、だからといって、その者個人の意志や行動動機自体を疑うつもりはつゆ程もない。無論、誰といわず、こうした微妙な主張を全て受け入れろというつもりも毛頭ない。それは〈個〉々の主体の在り方、思想信条の自由である。が、そうした大文字の様々な政治的意図=正義/正論により、その者やその他そうした運動に関っている〈個〉が利用され踏みつぶされることがあってはならない。だって、元々自衛官舎へポスティングされたビラは、そうした大文字の政治的事情に翻弄された人々に投掛けようとした活動なのだから、ね。
立川・反戦ピラ弾圧救援会
http://www4.ocn.ne.jp/~tentmura/index.htm

*1:「政治活動」する「普通の市民団体」に対する市井の市民が持つアレルギーに重ねて自衛隊組織で生計を立てている立場でかつイデオロギーを持たぬ人々への重々なる配慮