橋本治

Beltorchiccaさんが、橋本治の限界について触れられている。橋本の、思想にハマらないようにしながらも〈個〉を打ち立てようとする思考は、全共闘総倒れの中、孤高の輝きをはなってる生粋リベラルだとおもう。
たまに『広告批評』の連載を読んだりするけど、やっぱ、セクシュアリティの持ち方が桃尻娘的で古い。でも、まー、『広告批評』っていうカルスタ入ってるギョーカイ気取りな媒体には丁度スパイスとなっていーのかも。
橋本の繰出すトランスセクシュアルが特権的なものに支えられてる自由だってところのセクシスト&教養権威主義でしかない。…っていうと、しがないタバコ屋の息子っていうハナシが延々とはじまるんだろうなぁ。使用人がいる「しがないタバコ屋の息子」が東大行って、全共闘のポスターこさえて編み物したり古典伝統芸能カルチャーを微細に語りまくるってこと自体が、昭和モダンカルチャーそのものだったんで、そゆ時代を体現することは前世紀で(←こゆ大時代的な言い方を一度してみたかったあるよ)終わったんだし。。