フェミの衰退

「負け犬」という価値を反発しつつ辛くなるのは、幸先にその価値観の尺度が正しいと解釈する思考回路が自己にあるからにほかならない。「オニババ」と指摘されてムキになって反論するのも同様。これは勿論、他者を「負け犬」「オニババ」とラベリングする行為も同じ穴のムジナだ。
単一的価値観の良い悪いってひとつのラインのハナシでしかないから、どっちもどっちなのだ。それが〈女性〉って思想なダケ。
〈女性〉ってこと以外を全て否定して自己を打ち立てるという手法をとってるかぎり、その否定した部分からの反発と否定を享受せざるをえない。だから、単一的価値観にプライオリティをおいてしまうと、ひどく人生は困難を極める。〈女の子〉道?をやり続けても、加齢で必然的に敗者になるしかない。そんなことを享受してなおも貫徹できうるのは、極々一部のインフラにも恵まれたエリートだけである。
今日のフェミニズムの衰退は、極々一部のインフラにも恵まれたエリートの自己完結運動になっていて、市井の人々のそうしたことに言葉を作りだすことすら失敗していることにある。女性の地位向上という社会化に成功したけど、そこに力点を置き過ぎて個々の主体自律化に失敗したってことかな。リブ→フェミという流れの中で昨今はセクシャルマイノリティにも様々に配慮を見せてはいるが、根本は〈女性〉アイデンティティのイズムであり、それは近代思想でしかないからだ。そこにとどまっているかぎりは、〈女性〉アイデンティティが起こすコンプリクトには決定的有効打は繰出せない。せいぜい男社会が悪いと言う位で、AC等のココロ系疾病者にはあたらずさわらずみないフリ。んなフェミ自称エリート高学歴者も、陰で摂食障害ってのが多いんだけど。だから、三砂的な「女性の身体性」エロスを持ち出されたら、コロっと参っちゃう女性がでてくるかも。(医学的な風味と蘊蓄をまぶすケーシー高峰なソレは、昔からヲヤヂの口説き文句、専売特許だったんだけどねー)
主婦の常套手段「家族の為の自己犠牲」という建前も含めて、なんであれ、自己成立/正当化の為に否定した他者を押さえ付ける為に全精力をそそいで疲れて辛くなる悪循環。そゆの、ほんとにヤメにしません?


※追補
この本の一番不思議なトコ&ハタかれるトコは、主張する「昔の女は(経血コントロール)出来ていた」つーのが、実証検証されていないのである。著者の経歴「免疫学の専門家」をもってしても、相変わらず僅かな伝聞に依存した内容はあまりにもアヤフヤであり、少しもサイエンシフィックではない。この手の身体的技法をウリにするのなら、「私は○○でダイエットできた!」と、少なくともリアル体験を収集するのが王道だが、著者はそゆ実証作業には関心がナイようで、最初にこの説を主張した本『昔の女は出来ていた』かいてからナニしてたんだか知らんが、オニババ本では「はやく聴き取りをしないと出来た90代が死んでしまう」とすましている。
著者三砂の親にあたる年代が丁度、この本でヤタラこき下ろす70〜80歳代。id:hizzz:20041130でカキコしたように、三砂の親は三砂そのものでもある。うがった見方をしてみると「できた女」という今はいない理想像を探すという自分探し、その過程で自己理想に合わない生き方をしてる同族女性の序列(負け犬、負け犬にもなれない弱者、オニババ)をつけ、その勢力でもって親殺しして自己再生を計るという、「いいたいのは親の悪口」id:hizzz:20031027#p5てな黄金パターンなのかとも。だとしたら、つっかれる手合だなぁ、はぁぁ。。。