亀田父子鷹

彼等が成ろうとしたプロスポーツ選手とは、ファイトマネーを稼ぐプロであるのが第一のプライオリティとする職業だ。その方法論として横柄ヒールキャラをクローズアップすることで視聴率とって、これまたアンチヒーロー期待どおり「実は弱かったんじゃないか」を見せたことで、世間の期待に答えた。その「疑惑の判定勝ち」のフォローで亀田陣営からも飛び出す、「試合は真剣勝負」「19歳の未成年」「挑発態度はパフォーマンス」「いつもは礼儀正しい」「優しい子」。。。これまた、お決まりのパターン「ヒールは実は善人だった」である。ドコ迄いっても「安いドラマ(@やくみつる)」。
今日、ワイドショーで父親がガッツ石松やくみつる相手に強気フォローをしていたが、要は「負けたら後がない」というトコ*1からくる批判/批難の排除防戦、殆ど泣き入ってる崖っぷちの絶叫に始終。選手以上の高飛車ヒールで息子の楯となろうとしたのかもしれないが、いっぱいいっぱいといった様子、完全に素人さんである。いろんなモンに乗ってしまった以上降りれないという事情もからんで、なによりもこの父親自身が現象を消化できえてないのであろう。*2
ただひとつ両者が一致したのは、「すっきり勝てなかった」ということだ。テクニック的なことはさておき、約束された「最強ヒールとしての結果」を提示できなかったという事実は、彼等父子の責任であり、そこに於いてこれから債務を支払うことになる。彼等はプロで在り続けるのなら、それを支払っていけばよいのである。こうしたバッシングを黙々と引き受けて新たな価値を提示してくことがプロたる由縁。なんだけど、どうも戦術パターンが一本やりだわ、マネジメント不在だわ「その後」に苦慮してるただの出たトコ勝負の強がりを、周囲によってたかってむしられたって感じでヒートダウンするのかな。。
ここまでカキコしててなんなんだが、ボクシングにはワタクシまったく興味ナイ。あるのは、「父の娘」という問題は昔からあったが、昨今は「父の息子」という囲い込みで「身銭を稼ぐ」父子の在り様である。高い理想を掲げた強い父のリーダーシップで結束する親兄弟、そういうインフラ囲い込みがプラスに成立して見えたからこそ、この一家は時の人となった。失敗した例は、奈良の放火母子焼死の父子など、家庭破綻での親子殺しは最近多い。この程、奈良の父親の手記が公表されたが、これが又、過剰に「良い父」であろうとしてるトコが、とても気持ち悪い*3。亀田父もそうだが、「子離れしない母」ならぬ「子離れしない父」というのと、「良い子」であろうとする供依存で他者を排除し内輪で酔うことで満足し、誰も「一人前」になろうとしない*4
余計なお世話だろーが、亀田選手が真に「強く」なる為には、過保護な父の敷いた路線を離れて自分独自の方法論を確立した時だろうし、「一家の繁栄」とやらは、1つでもつまずくと終わってしまうような一卵性親子クローン軍団をこしらえることではなく、そうした個々の多様性を内包してお互を刺激しあって創造性が高まった時なのではないだろうか。

*1:負けさせてもらわれへん、自分の意志で「降りる自由」はナイという状況

*2:目には目を的やくみつるの父親への挑発(しつけ糸で縛ったボクシンググローブを渡す)は、TV的には面白くとも、この手のキャラいじりとなる=相手を貶めるだけでは、排除の構図を強化する。http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_08/g2006080705.html http://www.youtube.com/watch?v=ly2-qjCWLZ0 http://www.youtube.com/watch?v=FabvOOZn7Fg http://www.youtube.com/watch?v=6C_Z4I2YnqI

*3:http://www.sankei.co.jp/news/060802/sha072.htm

*4:星野智幸『在日ヲロシヤ人の悲劇』 理想という名の無責任に空虚な自らを埋没させた形式主義者が、無自覚なまま家族関係に憑依し、お互いを利用しつつ劣化コピーを繰り返しながら反政府活動家としての生に拘泥するも、なおも家族の復活というパターナリズムに乗っかって、結局は弱者的立場の他者を同化させ破綻に追い込んで生き延びる自律ナキ男の際限のないエロス。