長野県知事選挙

村井が勝ったとゆーよりも、田中康夫が負けるべくして負けた選挙。「ノブリスオブリージュ」では、職員/議員/議会のモチュベーションを上げることが出来なかった。彼の打ち出す「高い理想」は、文章の中では理論がついてたとしても、それを実際に落し込む時の戦術、これが欠けていたのが原因であると考える。政策実動機関が動かなければ、いかに「正しい」政策を示そうとも、実現されなきゃイミがない。また、「五人衆」といわれる政策ブレーンが次々と基を去ったということも、他に組織運営経験がない彼にとっては、かなりイタいところか。
浅田彰との「憂国対談」*1では、「(市民と)同じ目線」というよりも、判ってる我が無知な其処元に知恵を授けてしんぜよう的な常に姿勢が上から下に流れていた印象が強い。また「ペログリ日記」などでの仔細に渡るネチネチとした批判に見受けられる神経質さが、ひょっとして周囲に対して出ていたのではないだろうか。今迄を否定し、理想主義を掲げて完璧を求められるとしたら…、それでは、下々は反発するダケである。「正しい論理」文言で物事が動くのならば、政治=交渉/調整はイラない。職員/議員/議会がボケだろーがカスだろーが、予算が赤字だろーが、意地汚い利権屋と住民エゴの巣窟であろうが、そういう持ち札=場から成果をだすのが、「首長」のシゴトなのである。長野県知事というカタガキでマスコミをにぎわしたハデなパフォーマンスの割には、「正しい」成果が県民に届かなかった6年という県民審判なのであろう。「新党日本」の代表に就任したあたりから、ハタ目でもナニやってんのかワケワカメといった感じであり、やはり県より国目当てなのね的イメージを拡大させたのではないだろうか。
ま、しかし、元県知事というカタガキは、これから存分に使いであるんだろうねぇ。ここいらで、長野からしりぞけたことは、丁度良かったのかも、、、しれない。