社会的自律主体〈個〉

それで、問題は個々に戻される。関係集合体(世間)や社会/国家と個人はどう付合えば良いのか?他者が提示するそうしたフィクションでない個人主体を自律させていく為には、どうすれば良いか?
〈私〉=〈公〉の一体化、一心同体が在るべきカタチなのではなく、多様性な営みと公的共同体をどう両立させていくか。それには欲望や感情等の個人主体は個々の私的部分で確保したその上で、世間共同体や社会との合意形成への合意を図って行く社会的自律主体=呼応責任主体を、〈私〉と〈公〉の調整クッションとして個人自前で表象として立てる、内観から外的能動までの段階を作って、そこに多様性を保持していくという考え方はどうであろうか。自由闊達なオレ様私的エリアと共同参画していく公的エリアをそうして区分けした自己システムでマネジメントして、外的価値に暫定判断として接続/断線する。外部多様性回路と共に内部可能性も担保する。そのように自己内外に多様可能性を保持してくことが、「個人というフィクション」をモラル強要しがちな世間/国家に立する個人の最速有効な方策となりはしないか。それがないまま、国家政策に準じても、抵抗運動体と連帯しても、他プランに賛同しても、「みんなでない自己」主体は立たないであろう。