クサっても慎太郎

という訳で、慎太郎三選である。慎太郎の対案/代案になりうる選択肢を誰も明確に示せず、マジョリティからすれば石原vs○候補ではなく石原vs反石原にしかなかったということが一番の原因であろう。しかも騒がれてる親族登用問題/経費問題は都政効果と比較しても、そう格別大きい失点にはなかった。そうなった時、最適合理性は、未知数大でどうなるかわからない候補よりも、ダメなトコがあれどある程度どうなるか先が「安定」して見える現政権維持をとる。「反石原」というのは、慎太郎と平行して成立する対立概念でしかなく、それだけでは自律した根本的政策、選択実行可能な新案とはなりえない。
TV前の中間保守層たるマジョリティにとって勝負は、告知直前の幾つかの4知事候補討論番組で決定的になっていた。怪炎プレゼンスでひっかきまわす天衣無縫な黒川紀章に、目をかがやかせて面白がるノリ良く人の良さようなオヤジ吉田万三、反省を言う口角をあげて必死に笑顔を保とうとしているが目は笑っておらずイタいトコに話がいくと途端にしょぼんとしてしまったりする表情豊な慎太郎、しかし、あやあふやではっきりしない官僚答弁に「フリーズ男」と紀章にとどめをさされてなにも切り返せずに口をへの字にして表情かたく黙り込む浅野史郎。人格イメージでも公約主張でも完全に史郎は埋没。
普段は独断専行風が「怒るなとさんざんいわれているから我慢しているが、我慢のしずぎでイライラする」と言ってはばからないさばけを見せる慎太郎や庶民的風貌でノリ良い万三が「人の意見を聞いてやってきます」と言うのと、エリート官僚がそう言うのとでは、たとえそれがまったくもって「政治的に正しい」主張だとて伝わり方は180度違う。大体、官僚の「考えます/善処します」は、考えないで放っといてほとぼりがさめた頃に前方針に倣うだしね。他との差別化に史郎は、借りてきた市民スタイルではなく、エリート然として「有能/実務派/バリバリ仕事します」を全面表現すべきだったのである。しかしそれも都政内容に踏み込んで語れないのなら、ダメである。人柄やイデオロギーだけでは運営を託せない。多様な人々が層をなす都市マジョリティは、プラグマティズムなのである。都民1000万の最大公約有益的プラグマティク政策があった上での各種マイノリティへの個別配慮、これが数多を采配するボス戦略の王道。
ところが浅野陣営は出遅れてきたにも関わらずマイノリティを束ねていく周辺戦略に固執して先細り方針転換したものの自滅。「人の話を聞く」という割には、東京都民の地方事情というものが一番わかっていないな知らないんだという印象ばかりめだち事前準備がなされてない宮城県知事3期の実績に依存状態、それはややもすると慎太郎以上の「傲慢」に思われていたのではないだろうか。特に伝統?の革新セクト*1争い*2など、ダメな選択を重ねつづけ、負けるべくして負けたパターン。「政治的正さ」スタイル維持を固執して、多様性の中政治の重要な役割「調整」とそれにもとづくオルタ案創出を欠いた硬質指向。猛省を促したい。
さて、Wスコアで勝って慎太郎節全開だが、官僚無能をさらけだした新銀行東京問題、オリンピック招致に破れた後にナニをもってくるか等、これまでになく慎太郎は前途多難。都市開発の内情を把握してる筈の紀章が指摘したのにマスメディアは誰もちゃんととりあげないほじくらない、三セク外部団体に次々と付け替えて帳簿上ないことになっている「隠れ借金」は、都財政にとっては一番のアキレス腱で有り続ける。なんでオリンピック誘致をブチあげて再開発を急ぐかといえば、慎太郎都政以前からのつけもあるこういう過去の累積赤字をもっと遠くにほおむる為でもあろう。本当に都政をどうにかしたいのなら反石原勢は、イデオロギー*3をたのみとした抽象的議論の精緻さにばかりかまけてないで、事実を調査し掘りさげ第三者検証に耐えうる政策提示をおこなう地に足のついた実務運動をすべきである。

*1:ノンポリ・マジョリティにとっては、共産党セクトノンセクト市民派も左翼セクトの内

*2:共産党がアタマでは勝てないから共産党は候補を取り下げて合流しろ」「先に党員以外の候補者推薦したのは共産党」社民vs共産党罵倒合戦

*3:日の丸/君が代問題については、公立に進学するのがデフォルトな地方と違い、ピンからキリまで豊富に私立がある都民にとっては公立よりも私立在籍者のほうが多い。問題は単なる「(公立)学校問題」として選択肢でスルー出来るので、生活上大きな問題点にはならない。しかも少子化も相まってさらに公立在籍当事者家庭は少数となっているので、全体的争点化にはなりにくい。