花街報国

以下は直ちに慰安婦強制につながる訳ではないが、当時の慰安婦募集に関する伝聞があった。

立秋午後土州橋に行き薬価を払い、水天宮裏の街合叶家を訪ふ。主婦語りて云う。今春軍部の人の勤めにより北京に料理屋兼旅館を開くつもりにて一個月あまり彼地に往き、帰り来て売春婦340名を募集せしが、妙齢の女来ならず。且又北京にて陸軍将校の遊び場をつくるには、女の前借金を算入せず、家屋其他の費用のみにて少くも二万円を要す。軍部にては一万円は融通してやるから是非とも若き士官を相手にする女を募集せよといはれたれど、北支の気候余りに悪き故辞退したり。北京にて旅館風の女郎屋を開くため、軍部の役人の周旋にて家屋を見に行きしところは、旧二十九軍将校の宿泊せし家なり由。主婦は猶売春婦を送る事につき、軍部と内地警察署との聯絡その他の事をかたりぬ。[此間3行弱抹消。以下行間補]世の中は不思議なり。軍人政府はやがて内地全国の舞踏場を閉鎖すべしと言ひながら戦地には盛に娼婦を送り出さんとする軍人輩の為すことほど勝手次第なるはなし。

永井荷風断腸亭日乗昭和13年8月8日

前回カキコした「厚生運動」と売買春はバッティングする。売買春はどー考えても「健全」のくくりからハズれてしまう。が、国は「公娼制度」というカタチで娼婦達を管理する方向でそれを制度化した(娼妓取締規則)。花柳病予防法*1で性病検査と治療が義務づけられる。しかし問題は、海外帰還兵が性病感染し国内に蔓延させることが憂慮となった。んじゃ、兵士の素行制限とか性病検査と治療とか廃娼かなとおもいきや、そーはならない。「男の慰安」としてソレは手つかずで、公娼のみならず私娼の厳重管理にコトは進む。女給/芸妓/娼婦達は国防婦人会に参加し献金や慰問などの銃後活動をし、花街で行われる連夜の臨検を積極的に受け、更には健保組合をつくって「性病の感染源」払拭した「〈健全〉なる慰安婦」であることに勤しんだ。はてさて、そんな「男の慰安」の為に強制管理される対象者、それは「性の奴隷」そのものなんではないのか。
せっぱつまった時局にからんでいくつかの県では性病蔓延(で兵士として使えない者が多発したこと)を憂いて貸座敷等も含めた娼館は「人肉の市」といわれ*2廃娼は実施されたが、それはそのまま私娼に移行し官警も黙認した形式的なものであった。

公娼制度は封建の遺風にして人道上、風紀上、並びに衛生上より見る者はたまた国際上より見るも有害無益の悪制度にして之か廃止は世論の大勢なるも因襲の久しき時期尚早の名の下に未た之か実現を見さるは甚た遺憾に堪へず社会の進運と現下時局の重大性に鑑み社会風教、人道並思想上に悪影響を及ぼす本制度を速やかに廃止して以って質実剛健なる国民精神の作興に質せられることを望む。

公娼制度廃止に関する建議案(超党派提出ー満場一致で可決成立)『富山県会議速記録』昭和12年12月14日

てなご立派なタテマエ発言ではあるが、その当時も国内見解では「当時世界で当たり前であった公娼制度」とゆーわけでもナイのである。>ワシントンポスト意見広告の皆様方
はてさて、昭和12年に少なくとも地方レベルの県議会一致で「国際上より見るも有害無益の悪制度」として廃止したハズの制度を、国際的に展開する軍が維持しようとしたからこそ、荷風に「軍人輩の為すことほど勝手次第なるはなし」とカキコされたのである。

廃娼運動の歴史
http://www.ndl.go.jp/jp/gallery/permanent/pdf/84.pdf

*1:http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hs02-48.htm 性病の検診&治療すれば公娼以外の売春も黙認

*2:『北陸タイムズ』1937年12月16日「人肉の市への凱歌 明春から公娼を全廃ーその代り花柳病を根絶」