「死刑執行、自動的に進むべき」

鳩山法相は「私の問題提起」としたうえで「ベルトコンベヤーって言っちゃいけないが、乱数表か分からないが、客観性のある何かで事柄が自動的に進んでいけば次は誰かという議論にはならない」と発言。「だれだって判子ついて死刑執行したいと思わない」「大臣の死生観によって影響を受ける」として、法相の信条により死刑が執されない場合がある現在の制度に疑問を呈した。http://www.asahi.com/national/update/0925/TKY200709250116.html

ま、マジっすかぁああああああああ???唖然仰天。国務大臣が責任を負わないでダレが国が執行する法行為の責任を負うんだよ!留任だそうだが、こんなことをいう鳩山邦夫は法相を今すぐやめるべきだ。
個人的に死刑廃止論者とか死刑敬遠論者であろうとも、法の行政責任者たる法務大臣であるならば、定めた執行行為全般に常に責任を持たなければならないだろう。それに「絡まない」などとのたまうハラが座らない状態なのであれば、まったくもって務不適格である。
死刑に処される側、合法的に生命を奪われる側の重さをうけとめ担う執行責任者がだれもいないなどという状態は、なんであれ命そのものを軽んじることである。自動的に殺される受刑者の固有の生命をなんとするのか。自分は「良心的いいこちゃん」を堅持して、現場の執行官に全てを押し付けるのかいな。いや、「良心」などというものをだすならば、第一に現場の執行官の苦悩たるや察してあまりあるとすべきである。だったら、それとも死刑執行装置みたいなものに受刑者をおしこんで終わり?もう、何十にも失礼千万なへたれである。
鳩山のいう「大臣の生死感」いわゆる「良心派」なひとが法相になると死刑執行書にサインしなかったりするんだけど、それも欺瞞的で法に対して不誠実な態度だとワタクシは考える。現行制度で死刑廃止論者ならば、そもそも法相になるべtp://d.hatena.ne.jp/hizzz/20040424#p4
『死刑執行人の苦悩』大塚公子 ISBN-10:4041878012