反省ポーズならサルにも出来る

よく「責任」とか「けじめ」とかはいわれているが、オトナな態度といったら、始末のつけ方、これに他ならない。仕事というのも、責任を担保にし最後始末をつけて完結するもの。だから、通常、責任もてない(予測のたたない)仕事は引き受けるべきではないし、始末のつかない仕事は「やりにげ」とか「オイシイとこどり」ということで、一人前の仕事と評価されない。
ワタクシの経験でいえば、仕事出来ないひとというのの大半は、この「責任」と「始末」をどうしていいか判っていないひとである。できなさ加減には、大雑把に分けて、現状把握が出来ない、自分に都合よくない現状把握を否定してしまう、リカバー方法論をもちあわせていないの3種類になるとおもう。現状把握が出来ないのは、仕事全体の俯瞰で自己行為を図る多視点不足。現状把握の否定は、理想自己・プラン行為への依存が強すぎる為。リカバー方法論欠如は、当初プラン1点依存による多数解不足。要するに、環境条件と仕事と自分との関係が曖昧で自己の羅針盤を持たないひとは、ささいなことでそれらが極端に一体化したり乖離したり振り子のブレがおおきくなり持ちこたえられなくなるのである。
仕事の過程で「責任」と「始末」がもっとも難度が高いのは、(多視点への)臨機応変と(理想への)スジというある種矛盾した命題を通していかに他者に納得してもらうかだからだ。
「自己責任論」などで「責を担う」ということは「不利」なことだという認識が結構多いようだが、社会的身分による承認とは、この一定の責務を担うこと(有限責任)で初めて担保・認識されうるものであろう。したから、「めんどーな責任は一切取りたくないけど、一人前に認めて欲しい自分」という若者の「(自己)承認問題」とこれはひどく矛盾してしまって、堂々巡りになるのである。自分が少しでも謙るのは不利だから良くない、相手を謙らせなくては的発想をするひともまま拝見するが、そうではなくて、5分と5分、WINWINな関係にもっていくのが関係としてはベストであろう。関係においてはバランスが最も重要なのである。
そして「始末をつける」とは、そうした自己行為のアフターフォローをするということなんだろう。はしこいことをいえば、実はそこが一番印象的に実績を示せる状況なんだけど、ね。>ピンチはチャンス