エリート様方が役にたつ状況とわ

他国と比べても旧日本軍参謀権力の範囲は格段にデカかったと思われるのだが、さてそこに座った数々のエリート様方がなんで無能だったのか。陸大にしても海軍兵学校にしても、その卒業者は合わせても6万人たらずという数は、本来業務の軍運営もキビシー。そこで培われた軍事知識は、占領統治や金融政策には管轄外。いやその軍事知識も、既存戦争を基にした知識の反復に始終した奇襲短期決戦、1対1の少数精鋭精神主義で、近代と共に進化する技術標準化した消耗集団戦なんかはハナから想定外であった。平たくいえば、固定された前提から導きだしてりゃいー卓上論環境と、流動する実務環境の想定違いってハナシ。
そしてエリート様の無能や無謀を阻止できなかったのは、時節を含んだ多様な事例分析による論理整合性よりも、勉強暗唱しまくった既知な行動様式反復による精神的安定性と顔のみえる仲間内な人的融和性を最優先した感情論帰結で、共感共振してたってことかな。常に定見から導きだされる同質行動様式に思想が上乗せして型ハメする関係間では、それを超越する機智や知見は非合理として排除されることで整合性が保たれるが、定見成立する前提が前提と固定しえない刻々と流動する実業=実戦では、その内部整合性が非合理に作用するという原理。
さて、軍人エリートについての考察としては、永井和『近代日本の軍部と政治』。内閣の歴史が主眼なんだけど、軍ヒエラルヒーのカタチから軍の政治進出を考察していくという視点が面白い本。
それに対してその内容から分析する、戸部良一日本の近代 9 逆説の軍隊』では、当初政治からの独立を担ってたハズの「統帥権」が政治介入支配の口実となったり、絶対命令統制と上部決定や聖断に反するクーデターの二律背反や、反近代的な天皇崇拝を、よくある「日本特殊論」に収斂してしまうのではなく、国家近代化の成長過程として捉え、政治と軍とが距離感を喪失して非合理になっていった「逆説的」な経過を分析。
軍ヲタなら必ず押さえておきたいマニアックな本としては、海軍に多大なる影響をあたえ金科玉条となってしまった、ハマン『海上権力史論』(おもいっきり古い)。要は、艦隊結集して敵主力艦隊を先制攻撃するという奴。コレで海軍は日露戦争日本海海戦、巨艦同士のぶつかり合いを「正しい戦法」正攻法とし、航空戦時代の流れを無視して巨大艦という1点豪華主義にその威信をかけまくった基思想。さらに東郷平八郎のいう「百発百中の砲1門は百発1中の砲百門にまさる」名人芸至上主義は、1中できうる物理的条件*1をいとも簡単に無視しまくりんぐな理想精神主義。その上に、特攻奇襲ワンパターンを反復するのが戦略ときた日にわ、、、ダメ杉で涙も出ない。

*1:公算誤差(個々の火器が持つ誤差・気温や風等の条件誤差)をフォローするには、射手のテクとは関係なしに常に一定量の砲弾を必要とする。http://homepage3.nifty.com/kubota01/bombing.htm