20世紀モダニズムの至上命題

とにもかくにも因習的伝統的仕儀(クラッシック様式の修辞的・象徴的・装飾的性格)は、否定しつくすのが20世紀モダニズムの至上命題。したから旧仕儀と断絶することが最重要で、その以前と以後の間にできたシャープな「切断面」それこそが、最もブランニューな構成要素となった。しかし、後のバウハウス創立者であるヴァルター・グロピウスら黎明期モダニストは、「形式からの自由」という主題はあっても、形式そのものの重要機能性を見落としており、自由の落とし込み方法論・具体策構築への関心が欠落していた。どう造るかではなく、どう見えるかに重心がおかれ「表象」が自由の形式を支えることとなる。
近代建築家三大巨匠といったら、ル・コルビュジェ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デァ・ローエ。彼らが目を付け着手したのは、彼らブルジョアジーという新しい個人の表し方であった。従来の権力空間建築とは一線を画した、「郊外住宅」という個人財産=個人の立ち上がり。どっしりとした威圧感ではなく、ピロティ様式*1によって地面から浮上して輝くキューブ。そんな「オブジェ」は、為政者ではなくモダニストたる「作家」が意味を決定づける。環境という居場所=因習風景から「切断」されればされる程に、その切断面=作家がクローズアップされてくる。こうして因習権力から離れた、存在個人と表象作家に分裂するシステムが作動しはじめた。爆発しつつあった中産階級の欲望=個人住宅建築に乗じた彼らは、こうして旧世代ヘゲモニーを葬り去るついでに、お育ちがよろしすぎて「形式」を取りこめなかったグロピウス達もふっとばし、ボザールという形式主義を再利用し尽くした*2。古典的ギルド教育だったバウハウスとは違って、クレメント・グリーンバーグ*3からマイケル・フリード*4へと到る形式主義的アプローチは20世紀アートの言説と教育を支配した。その上に、20世紀テクノロジーが、「売れ筋」表象に費やされることとなった。
精錬技術の発達と鉄骨構造は、従来の石積といった組積工法から空間の自由を獲得した。そして、枠をこさえて流し込めばよいコンクリート。のちに耐震偽装がそのコンクリート建築の根幹を暴いてみせたように、中身(存在)に関係なく形(表象)が出来る。あとは表面コーティング材を貼るだけで、あらゆる表象を装える。このような工法(形式)は建築の概念を変えた。「構築」は「構成」と手をとりあう。
ミース・ファン・デァ・ローエは、従来は一体化して考えられていた柱・壁・床を独立抽象空間とみなした。 対称性・均等性で無限に繰り返すグリッドの抽象性で空間を満たした。アメリカでの後半生は、「ユニバーサル・スペース」というどこにもない理念概念の実現をめざした*5ル・コルビュジェは、近代建築五原則(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、独立骨組みによる水平連続窓、自由な立面)やドミノ工法*6を方法論化する。フランク・ロイド・ライトは上記2人と少し違って、インターナショナル・スタイルではなく、西欧と異質な時間・空間特性を持つ浮世絵(広重)に強く感応し、自然と人工の連続融合に向かった。

*1:壁などに囲われないで柱部に開かれた空間または、柱だけで構成された1階部分の空間。

*2:19世紀パリのエコール・デ・ボザールで主流の古典主義を、モダンデザインの中に移植した折衷建築様式をアメリカン・ボザールと称する。

*3:批評が芸術家を携えて新しい言説の場を生み出していく手法をとった先駆者、1950年代抽象表現主義ブームの仕掛け人。『グリーンバーグ批評選集

*4:1960年代に、モダニズムの真髄はリテラル(現在性・瞬時性)にあるとして、作品を客体として主体的に接する所謂「芸術鑑賞」を「演劇的」と批判。『芸術と客体性』

*5:ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて』高山正實

*6:水平スラブを「持ち上げ」て、2平面の間に自由空間を作る。これにより「壁」によって立ち上げていた今までの建築から壁を解放し、自由な壁の配置、そして建物の表皮が自由になる方法。