ホロコースト研究の新潮流

21世紀にはいって起こったヨーロッパ史学研究をとりまく変化とは、大きく分けて3つある。1.統一ドイツ後、東側で保管されていた資料が次々公開となり、研究が深化した*1。2.ECという政治枠組みが生成されその東方拡大は、ナチ犯罪の捉え方も、ドイツ1地域からヨーロッパという多国間で捉えねばならなくなってきた。3.国民vsユダヤといった単線だけではなく、ロマを始めとしたこれまで周縁化されていた少数民族を含めたマイノリティ集団や外国人強制労働者などの戦争被害者たちが、さまざまに帝国ドイツ&ナチスと関係してたことの重要性である。そこに至る意識の変遷には、ユーゴの民族紛争・コソボ空爆という、新たなるヨーロッパの痛恨というものも加味される。国際秩序重視でこの空爆を断固支持したハーバマスは、後で少し手段は不適切だったと軟化したものの、それは「反戦平和」が大原則であった左派陣営を震撼させるものであった。その後ハーバマスは、そのゴリゴリのカント的世界市民秩序・強者的普遍主義から拡大?して「寛容」を説き、イラク戦争の後、相容れない論敵・脱構築主義のジャック・デリダがいう「歓待」と、コスモポリタン的合意に基づく共同声明を、2003年出して、従来ではありえない展開に両者のフォロワーを驚かせた。>id:hizzz:20090204#p6、id:hizzz:20090103

ユダヤ人だけを見てジプシー、その他のマイノリティを見ることができなかった歴史意識の限界を克服し、総体的な諸要因を俯瞰しうる今日の世界と研究の到達点に立って、第三帝国支配下の苛酷さの事実と意味の関連を把握することが現代の課題になっている。アウシュビッツだけを問題にする歴史感覚、ドイツ人に「恥や罪の感情」だけを再生産させるような議論の仕方は建設的ではない。過去の事実に理性的に直面することに資するためにこそ、総体的な方法論見地に立った歴史研究が必要である。活発化している20世紀の多様なジェノサイドの比較研究はそれに貢献するであろう。ブローシャトの言うように第三帝国の犯罪を他国の罪と比較し、人類史の中に適切に位置づけ、その意味で「相対化しバランスをとること」は悪しき相対化論ではなく、ましてや否定論でもない。科学的比較はそれぞれのジェノサイドの基本的本質的な差異をも明確化する。それは、公式的なナチズム把握の問題性を認識させるものである。アウシュビッツ否定論のような偽造・捏造による「歴史意識の誤った正常化」や歴史家論争で見られた「非常に劣悪な無意味な比較」を排し、現代的課題に応えるためには、今後とも、大量のエネルギーを要する実証的比較研究が、問題接近の方法の洗練とともに必要なのである。

永岑三千輝『ホロコーストの力学―独ソ連・世界大戦・総力戦の弁証法
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/kogikeizaishi20011217.htm

戦後のドイツ歴史教育の変遷を研究している川喜田敦子『ドイツの歴史教育 (シリーズ・ドイツ現代史)』は、「ナチの過去と取り組むということは、また、戦後ドイツの「過去の克服」のあゆみを批判的に問い直すことでもある。」と述べる。また、これまでの「過去の克服」理解方法=ホロコーストアイデンティティ憲法愛国心では、戦後移民してきたトルコ系などの外国出自住民には通用しないことも指摘している。

もちろん、アウシュビッツは特殊である。しかし、おそらくアウシュビッツとそこで殺されたユダヤ人だけに話を絞っていては、自分たちのための追悼という悪循環から出にくいのではなかろうか。すでにホルクハイマーとアドルノは『啓蒙の弁証法』で、アンティセミティズムについての考察を、ユダヤ人という民衆─宗教─集団儀礼の問題を超えて論じていた。ベルリン工業大学にあるアンティセミティズム研究所でも、もはや反ユダヤのメンタリティや運動の研究をとっくに超えたところで仕事をしている。にもかかわらず、メディアも、さまざまな催しもユダヤ人中心である。
それによって生じるのが、先に触れた死者の選別である。たぐい稀なる文化を持っていたユダヤ人への無差別殺人は文化的喪失とも感じられるが、ドイツ人によって殺された他の人々については、ほとんど触れられないか、触れられても義務的な感じを免れない。シンティとロマ(ジプシー)について必ず触れられるようになったのは、それほど昔のことではない。しかし彼らに対しては文化的喪失感が乏しいだけに、国家的追悼の気持ちも、推し量りにくいところがある。
パブリック・メモリーの選別性を批判し、犠牲者にまでそうした選別性が及ぶエスノセントリズムを論じる「批判の批判」はしかし、リベラル左派のコンセンサスに依拠したこれまでの過去批判の発言が嫌いである。政治家が行うドイツの過去への批判は、リベラル左派の知的な力のゆえであり、またそれに支えられてもいるのだが、そのどちらにも理論的なつめの甘さを感じるようである。そこには、ヒューマニズムリベラリズム、左翼による権威批判の三者は実は一体となって、選別と排除を行っていたのであはないか、過去への反省の中にもエスノセントリズムがあるのではないかという、嗅覚が働いているのだろう。

三島憲一文化とレイシズム―統一ドイツの知的風土

もっぱらドイツ人加害/ユダヤ人被害中心で進んできた、その過去への反省「過去の克服」の中にひそむエスノセントリズムが指摘されていた、リベラル左派の中では、ユダヤ人追悼&保障に標準を合わせ、その一定の成果に満足し少数派犠牲者をないがしろにしてきた政府*2に対しては足並みを揃えども、折角保守派に対抗して作り上げたリベラル・コンセンサスが崩れるとして、リベラルを支えてきた自分たちが内包していたエスノセントリズム性への指摘・批判には反発する者もいた。アナール派のジャン=クロード・シュミットは、フランスやドイツの其々の一国単一主義に対して、「批判勢力自身が、実はエスノセントリズムにとらわれているのは、我慢がならない」という。昨今のマイノリティ運動が推し進める多元主義によって、主流リベラル左派のエスノセントリズム性が明白となり、「リベラル」自体の内実・硬直化を問われたのが、2000年以降のムスリムとのコンフリクトであった。>id:hizzz:20090324
石田勇治『20世紀ドイツ史 (ドイツ現代史)』では、「現実政治における文脈転換と並行して、歴史学でもホロコーストをめぐるパラダイム(認識枠組)の転換が生じている」として、ホロコーストの区別や切り分けではなく、むしろこうした東部戦線で生じた迫害虐殺を含めた包括的問題「複合ジェノサイド」として取り扱うことを推奨している。また「CGS:ジェノサイド研究の展開」と共催者DESK(東京大学ドイツ・ヨーロッパ研究室)の代表を務める石田は、ジェノサイドを「国民的 national 、民族的 ethnical 、人種的 racial または宗教的 religious な集団 の全部または一部を、それ自体として破壊する意図 をもって行われる殺人などの行為」と規定し、「私たちが数年前に別れを告げた20世紀は輝かしい「文明と民主主義」の時代であると同時に「戦争と虐殺」の時代でもありました。ジェノサイドはまさにこの文明の時代において、世界の各地で頻発し夥しい数の人間がその犠牲となりました。ナチ・ドイツによるユダヤ人虐殺(ショアーホロコースト)はその一例に過ぎません。」と、そのシンポジウムで挨拶している。

ホロコースト研究はいずれ比較ジェノサイド研究に統合されるであろう。この比較ジェノサイド研究は、二十世紀のヘレロ族の虐殺で始まり、オスマン帝国アルメニア人虐殺を含め、さらにカンボジアルワンダスーダンやその他の国々での未曾有の破局を視野に入れ、スターリン支配下ソ連のような、住民に対する国家的テロをテーマとし、必然的にジェノサイドやテロについての新たな定義に至るであろう。そしてこの定義は、ホロコーストのいかなる次元の歴史的犯罪の序列化、相対化、また周縁化を意味するものではないのである。

ヴォルフガング・ベンツ『ホロコーストを学びたい人のために

*1:当時のドイツ公文書も2006年一般公開された>International Tracing Service http://www.its-arolsen.org/en/homepage/index.html

*2:それはロマだけではない。例えば、政府補償を受けるには名乗りでなければならないが、最近まで犯罪に法規定されていた同性愛者は、役所でカミングアウトするのは相当な苦労を伴うであろう。強制不妊手術をされた女性もしかりである。また、800万人と推定されている外国人強制労働者と、旧共産圏諸国の犠牲者に対してのフォローは殆どされてこなかった。