意図か機能か、不毛な歴史家論争

「絶滅命令」は具体的には、いつ、誰に、なにを、どのように、どこで、といったことに関して、人種絶滅作戦の総統指令を直接証拠づける資料がない中、ホロコーストが起こった要因について、歴史研究者の中では意見が2派に分かれた。「意図派」とは、ヒトラーないしナチ指導者が始めから意図していた結果であるとする説で、「機能派」とは、流動していく状況下で特に独ソ戦開始以来具体化されたとする説である。が、そんな形式的二分法で歴史事実を説明できえるものではないことが、ここ10数年の論争と実証研究を通じて明白になってきた。
ドイツでは1995年に歴史家ハネス・ヘーアを中心に、ハンブルク社会科学研究所が主催した、『絶滅戦争─国防軍の犯罪─1941〜44』という巡回展示会が始まっていた。これは2004年まで、ドイツ国内外の多数の都市を巡回した。これが話題になり、ドイツ人に衝撃を与えたのは、これまでナチス国防軍との間には一線が設けられていて、世論的に国防軍は、犯罪的には「シロ」だったからである。1996年刊行したハーバート大学教授ダニエル・ゴールドハーゲン『普通のドイツ人とホロコースト―ヒトラーの自発的死刑執行人たち*1は、ホロコースト現場の人たちに焦点をあて、実際の殺害実行犯たちの内面を分析した。そして、ルターの「ユダヤ人とユダヤ人の嘘」以来「400年にわたって普通のドイツ人の中に蓄積された排除的絶滅的なユダヤ人憎悪」なるドグマが、戦時下の残虐なユダヤ人殲滅行動の動機根拠であると説明した。が、そのあまりにも判りやすすぎる単純直線的解釈が、世界的批判を巻き起こし、ゴールドハーゲンは激しく非難された。またこれへの対抗軸として、クリストファー・ブラウニング『普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊』がクローズアップされたりもした。『普通のドイツ人とホロコースト』よりも先行していた『普通の人びと』は、ゴールドハーゲンが使用したのと同じ資料を扱った、1942年夏ドイツ占領下ポーランドでのユダヤ人射殺部隊としての警察予備大隊に着目したものであるが、なぜ「普通の人間」が残虐行為を行なえたのかについての十分な説明は記述していない、ミクロ研究であった。これらを指してホロコースト史学的には、「ゴールドバーゲン論争」という。ハーバマスは、この本によって我々ドイツ人は、自分たちのメンタリティに潜む問題に気づき、それは60年代後半以降の批判精神と憲法愛国心に沿ったものであるとして、政治的にゴールドバーゲンを擁護した。しかし、一部の憲法愛国派が熱狂的にこの本を支持したのは、「戦前あった反ユダヤ主義・狂信的イデオロギーは、戦後ドイツは存在しない」と断定して過去と切断したところ=現在の自分たちとは関係なく断罪できるナチ犯罪であったこと、「メンタリティに潜む」現在的不安を払拭する作用をもたらしたことが大であった。
ゴールドハーゲン説なら、ドイツ地域ではルター以来400年間殲滅作戦が、為政者・平民を問わず日常的に多発していなければならないが、実際はそんなことはない。また400年間もしつこく続いてきたものが、そんなあっさり現在存在しなくなるとは考えがたい。現存している極右やネオナチはどう説明がつくのか。ブラウニング説の「ユダヤ人射殺部隊としての警察予備大隊」は、「普通の人びと」とは言い難い。第二次世界大戦の枠組みが出来上がった1942年の状況下では、警察予備大隊といえども、その殆どはナチ党員であり、前線後方地・占領地に派遣されているのである。その状況に至る背景や全体・地域作戦行動との関連性をブラウニング本は明らかにせず、ただ残虐行為が叙述されているのである。とまれ、「普通の人びと」が特定集団を選別して大量虐殺を集中的に行うことはありえないし、「普通のドイツ人」は、特定集団の差別・迫害に直接・間接的関与した遠因関係はあろうが、大多数はナチ大量虐殺への直接的関与までは問えないだろう。

白ロシアを研究したゲルラッハは、ユダヤ人の犠牲を地域民衆の被害全体の中に位置づけて、つぎのように言う。…44年夏にソ連軍がここを解放したとき、かって920万人だった住民は700万人よりもずっとわずかになっていて、しかもそのうち300万人は家を失っていた。…約70万人のソ連時捕虜が白ロシアでドイツ人によって殺され、50万人から55万人のユダヤ人、35万人の農民や難民が「いわゆるパルチザン戦の犠牲者として」殺されていた。この他さらに38万人が強制労働者として帝国ドイツに連行されていた。…ドイツの占領政策との関連で…白ロシアユダヤ人の大部分は、地域的な殺害作戦で殺されたとしている。…そのような殺害作戦の開始、継続期間、規模は、ライヒ保安本部による移送列車や絶滅収容所のキャパシティの割当によって決められたものではない、とゲルラッハは中央による統一的な指揮命令を否定している。ドイツのソ連占領地におけるユダヤ人殺害の展開の論理と西ヨーロッパ・総督府のその展開の論理とは違っているのである。

永岑三千輝『ホロコーストの力学―独ソ連・世界大戦・総力戦の弁証法

しかし、ポーランド総督府地域はゲッツ・アリーが書きだしている通り、もっとも劣悪であった。

ヒトラーポーランド征服で獲得した地域をライヒ領土に編入し、ヒムラーを民族強化全権に任命して、地域の民族強化を託した。その地域の「根本的新秩序」を創出することが課題となったが、この東部の4つの管区には810万人のドイツ人、850万人のポーランド人、61万人のユダヤ人、その他、ウクライナ人、ロシア人、チェコ人など18万人がいた。ヒムラーはこの「東部地域」にバルト地域などの民族ドイツ人を入植させ、そのためにポーランド人やユダヤ人を排除する政策をとった。排除されるポーランド人やユダヤ人はポーランド人居住地域として設定され「ゴミ捨て場」に位置づけられた総督府に追いやられることになった。比喩的に言えば、「ゴミ捨て場」総督府のそのまた「ゴミ捨て場」に位置づけられたゲットーは戦争の長期化と総力戦の中で、悪臭芬々、死屍累々たる場へと貶められた。

このような複雑な状況が、先のスレッドのホロコースト賠償請求での「ユダヤの被害はユダヤに賠償」との単線主張とは相いれないものであるのは、いうまでもない。
id:hizzz:20090204#p5で紹介した1980年代の『過ぎ去ろうとしない過去―ナチズムとドイツ歴史家論争』歴史家論争は、ナチスユダヤ人絶滅政策を、唯一無二と見るか(ユルゲン・ハーバマス=左派)、比較可能なものであるか(エルンスト・ノルテ=保守派)をめぐる、ウルリッヒ・ヘルベルト曰く「学問的にはまったく収穫のなかった」論争だった。石井勇治も「それまで曖昧であった歴史家の政治的立場が鮮明になっただけである。」と見る。この論争が「歴史論争」でなく「歴史家論争」と言われる所以は、ハーバマスは社会哲学、ノルテは歴史哲学と、歴史学ではない処で発生して争われたもので、大抵の歴史学者はこの論争を、歴史学術論争ではなく思想・政治エピソードの一端として取り扱われている為である。ハーバマスにとってホロコーストとは、それに象徴されるナチ犯罪を絶対無比のものと規定し、それこそが戦後ドイツ民主主義の原点であり、その反省こそがドイツ連邦共和国の歴史的アイデンティティの基盤をなす、正負二面性をあわせもつ「唯一無二性」ものであった。その主張は、ドイツ国策に取り入れられた。が、それは、列記したこのような総督府白ロシア地域を考慮しなくてよかった冷戦時代、「西ドイツ」という<狭義の前提>だけ鑑みてれば良かった時代背景で、出された政治戦略的帰結なのである。厳密な普遍主義を主張するあまりに硬直化していたハーバマスは、1994年5月ドイツにおける社会主義統一党の独裁の歴史と影響の克服問題調査会のヒアリングで「左派は全体主義的政権に固有の共通性を無視してはならない。両者に共通の尺度をあてはめなければならない。右派はまた両者の相違を標準化してみたり、または相違の度合を低く見積もってはならない。」と、穏当な線を述べた。

ホロコースト研究の歴史と現在」ウルリッヒ・ヘルベルト
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/Herbert20010228.htm

*1:高い本ですみませぬm(__)m。論旨はともかく、当時の雰囲気を掴む読み物としては面白いです。